バブル崩壊から始まった苦難の平成だが自動車は元気だった! 平成に生まれた偉大なクルマと技術5選

この記事をまとめると

■平成に生まれたクルマや技術を解説

■20世紀と21世紀を跨いだ時代だっただけに技術の進化が著しかった

■世界的な文化となるキッカケを作り上げたのも平成だった

さまざまな技術が生まれた31年間

 2023年は令和5年、令和という元号にもずいぶんと馴染んできたのではないだろうか。「平成は遠くになりにけり」と感じている人も出てきているかもしれない。1989年から2019年までの平成という時代は、バブル崩壊から日本が低迷した時代ともいえ、すなわち「失われた30年こそ平成」といった印象を持っている人が多いだろうか。

 そんな平成は、自動車業界的にはけっして失われた30年などではなく、革新や進化を実感できる30年だった。あらためて平成という時代に日本を元気にしてくれた国産車を振り返ってみたい。

 なんといっても、平成時代のスタートである平成元年、1989年は日本車のレベルアップを実感できる年だった。

 日本車ビンテージイヤーと呼ばれることもあるこの年には、日産からスカイラインGT-R(BNR32型)やフェアレディZ(Z32型)という280馬力のスポーツカーが誕生している。スバル・レガシィ、トヨタ・セルシオ(現在のレクサスLS)といった名車の初代モデルが生まれたのも平成元年だ。

 そんななかで、日本にドライビングの楽しさを教えてくれたのは、マツダから登場したユーノス・ロードスターだろう。バブル期の勢いにのったマツダの多チャンネル戦略のひとつであるユーノス店で専売されたオープン2シーターのライトウェイトスポーツカーで、スポーツドライビングの何たるかを学んだ人は少なくない。絶対的な速さとは別次元で、運転することの楽しさを広めたスポーツカーという意味では、クルマ趣味に深みを与えたモデルであり、平成という時代を象徴する国産車の1台として評価されるべきだ。

 さて、令和のいまは自動車といえば「電動化」の時代といわれている。もはやエンジンを積んでいるハイブリッドカーは古いタイプのメカニズムで、排ガスを出さないゼロエミッションであることがクルマを電動化する意義という見方もあるが、このように捉えることができるのは、ハイブリッドカーによって電動車という存在が身近になっていたという部分もあるはずだ。

 つまり、トヨタが初代プリウスを生み出し、エンジンとモーターによって走行するハイブリッドカーを普及させたことは、電動化トレンドの礎を築いたと考えるべきだ。2022年に発表された5代目プリウスは「25年目の大進化」を遂げたわけだが、初代プリウスが誕生したのは平成9年(1997年)のこと。『21世紀に間に合いました』というキャッチコピーは印象的だったが、平成一桁のうちにハイブリッドカーが市販されたというのも、振り返ってみると感慨深い。

 プリウス(ハイブリッドカー)の誕生は、日本の市場ニーズにおいて燃費性能へプライオリティを高める結果となった。平成の中頃以降は、エンジン車では到底不可能と思われる燃費を実現できるハイブリッドでなければ売れないという市場が続くことになる。

世界的なブームを作ったのも平成!

 平成に生まれた自動車テクノロジーとして忘れられないのが、プリクラッシュセーフティ機能だろう。いまでこそADAS(先進運転支援システム)やAEB(衝突被害軽減ブレーキ)といわれる機能の誕生は平成時代の中盤だった。

 ADAS機能の代名詞といえるスバル・アイサイトが誕生したのは平成20年(2008年)のこと。世界で初めてステレオカメラによってプリクラッシュブレーキやACC(全車速追従機能付クルーズコントロール)を実現したシステムは、スバルのフラッグシップであるレガシィに搭載され、ローンチされた。

 平成22年(2010年)にはAEBの完全停止まで実現するアイサイトver.2へと進化。これが日本におけるADAS機能を求めるニーズを掘り起こした。アイサイトの性能が広まっていくと、プリクラッシュセーフティ機能を持っていることがクルマ選びの重要なファクターとなっていく。いまや、軽自動車や商用車など、ほとんどの新車に搭載されるなど当たり前のものになっているAEBの普及は平成におけるトピックスのひとつ。それによって交通事故が大幅に減ったのはまごうことなき事実だ。

 平成という時代は軽自動車の時代でもあった。

 平成3〜4年(1991年〜1992年)にはオートザムAZ-1、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノといったABCトリオが話題を集め、平成5年(1993年)にはスズキ・ワゴンRが誕生。軽自動車のシェアが確実に高まっていった。

 平成の後半、軽自動車シェアを増やすことに貢献したモデルとして忘れられないのがホンダN-BOXだ。平成23年(2011年)に誕生したN-BOXは、スーパーハイトワゴンと呼ばれるカテゴリーを軽自動車のメインストリームにした立役者だ。このカテゴリーには、ダイハツ・タントというパイオニアがいたが、N-BOXは後発ながら一気に市場を席捲。ホンダの軽自動車シェアを拡大して、パワーバランスを変えていった。

 単純にスライドドアの使いやすいモデルを生み出したというのではなく、非常に短いノーズや低いフロアというホンダ独自のパッケージがその魅力であり、後発ながら大ヒットした理由がそういったところにある。その背景には「一定のレギュレーションのもとでの戦い方は熟知している」というホンダF1第二期に活躍したエンジニアの自負があった。直接的にはモータースポーツとは無関係にみえるスーパーハイトワゴンの軽自動車にも、モータースポーツ活動からのフィードバックがあるのがホンダのマインドなのであった。

 平成における日本のモータリゼーションは、世界に通用するクルマ作りのレベルアップに始まり、ハイブリッドやプリクラッシュセーフティといった新しいテクノロジーを生み出し、軽自動車の魅力を高めたとまとめることができるが、それだけではない。クルマ趣味としてドリフトというムーブメントを日本から世界に発信したのも平成の出来事として忘れられない。

 そうしたドリフトムーブメントから生まれたといえるのが、トヨタ86だ。平成24年(2012年)に誕生した初代86は、昭和のドリフトマシン「カローラレビン/スプリンタートレノ」のAE86型に由来する『ハチロク』という愛称をそのまま車名として蘇らせた。86は、当然ながらMTでFRのスポーツカーとなった。

 とはいえ、ベースとなったスバルのプラットフォーム(そのため兄弟車としてBRZも存在する)は、源流をたどればエンジン縦置きFF用に開発されたもの。それでも、FFベースのFRという無茶を感じさせない仕上がりなのはご存じのとおり。さらに、令和になってフルモデルチェンジを果たしたことで、「中古車をリーズナブルな価格で流通させたい」という初期のコンセプトも実現したことは、平成に生まれたスポーツカーとして評価すべき点だ。