昔は「青山ゼロヨン」で賑わった! 日本一の「オシャレ国道」ニーヨンロクってどんな道?

この記事をまとめると

■国道246号線(ニーヨンロク)について解説

■東京都千代田区から静岡県沼津市に至る一般国道

■過去「青山ゼロヨン」が行われていたことも

「ニーヨンロク」と呼ばれる有名な道

 東京都千代田区の三宅坂交差点を起点として、西へ西へと静岡県沼津市まで続いている、国道246号線。東京都心部に住んでいる人やよく遊びに行く人なら、「ニーヨンロク」と言えば通じる有名な道です。とくに80年代後半からのバブル絶頂期には、赤坂、青山、表参道、渋谷といった「遊び人」たちが集う街を通っていたこともあって、スーパーカーなども多く行き交い、オシャレなお店が立ち並んでいたことから、映画やドラマ、歌の歌詞などにもたびたび登場したものでした。国道246号線のなかでも三宅坂から渋谷に至るまでの区間は「青山通り」と呼ばれ、道の名称としてはもっとも有名な部類に入ります。また、渋谷を越えて神奈川との境となる新二子橋までの区間は「玉川通り」と呼ばれ、「ニコタマ」の愛称で知られる二子玉川地区の発展にも寄与しました。

 国道246号線のデータを見ていくと、まず総延長は125.3km。この道の原形ができるきっかけとなったのが、徳川家康が1601年に整備を始めた「五街道」でした。江戸時代の日本橋を起点とする東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道という幹線道路の整備が進められ、それにともなって江戸城の赤坂門から相模國、足柄峠、沼津宿を結ぶ「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」が東海道の脇道として利用されるようになっていきます。この矢倉沢往還が、現在の国道246号線の原形とされています。

 ただ、1952年に新道路法の施行にともなう一級国道の路線指定が行われた際には、まだ国道には指定されませんでした。東京から静岡方面には東海道を原形とする国道1号、15号がいち早く指定されたため、二級国道の指定からも外れています。その後、1956年に第二期の二級国道指定の際に、ようやく二級国道246号東京沼津線に指定。ただこの当時はまだ、今のように車幅が広く立派な道路というにはほど遠く、周辺は田畑や林などが広がるのんびりとした田園風景が続いていました。

「青山ゼロヨン」が行われていたことも!

 それが大きく変わり始めたのは1964年の東京オリンピック開催に向けて、東名高速道路の建設や東急グループによる田園都市線周辺の開発が進められるようになったことから。住宅がどんどん増え、じわじわとマイカーブームも盛り上がり始めて交通量も増していきます。そして1965年の道路法改正により、国道の一級・二級区分が廃止となり、一般国道246号線に指定されました。

 こうして急速に整備が進み、立派な国道へと進展を遂げていったニーヨンロクですが、クルマ好きの間ではすでに伝説となっているのが、1970年代から1980年くらいまで熱かったという通称「青山ゼロヨン」。ゼロヨンとは0-400mを速く走ったクルマが勝つという単純ですが違法な公道レースで、青山通りの信号機から信号機の間隔がだいたい400mだったことから、深夜になると赤信号の前に2台がスッと並び、青になると同時にロケットダッシュをして次の信号までを駆け抜けていくというもの。筆者は実際には見たことがなく、いくつかの証言をもとにその様子を再現していますが、歩道橋の上から見物するギャラリーもたくさんいたのだとか。高級スーパーカーから国産ターボ軍団まで数々の速さ自慢が参戦(?)しており、ポルシェ911RSやポンティアック・トランザム、デ・トマソ・パンテーラといった負け知らずの名物スーパーカーも出てきたといいます。

 だんだんと住民などの苦情が激しくなり、一斉検挙が行われてからは一気に下火になったようですが、今では信じられない話ですね。その名残りもあるのか、国道246号線沿いには輸入車ディーラーやショップ、チューニング&ドレスアップガレージなども多く店舗を構えているので、クルマ好きにとっては今も親しみを感じる道かもしれません。