2年間続いた本連載も、今回と次回が最終回です。たくさんの支持をいただき、本当にありがとうございました。
 最終回の2回シリーズでは、大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授の大竹文雄先生にお話を伺います。大竹先生は、日本の行動経済学会の設立メンバーの一人で、行動経済学のさまざまな研究を行われるとともに、その実践にも携わってこられました。
 前編では、行動経済学・実践の「過去・現在」について振り返ります。

佐々木先生 大竹先生は、いつ・どのように行動経済学と出会ったのですか?

大竹先生 1980年代の半ば頃です。恩師である京都大学(当時)の西村周三先生が、在外研究先の米国からエアメールをくださって、「『人間の意思決定は部分的に不合理になりうる』という経済心理学が海外で生まれていて、今後、重要になってくると思う」という趣旨のことが書かれていました。

 人間の合理性に基づいて伝統的な経済学の立場から研究をしていた当時の私は、西村先生は一体どうされたのだろうか、という感想を持ったことを覚えています(笑)。

 西村先生は帰国後、89年に『応用ミクロ経済学:経済心理学入門』(有斐閣)という本を出版されて、行動経済学を日本に紹介されました。

佐々木先生 当時の多くの経済学者にとってはまだ受け入れづらい考え方だったのですね。大竹先生自身は、どのように行動経済学を取り入れ始めたのですか?

大竹先生 1990年〜2000年代を中心に格差の研究をしていたのですが、客観的には「格差」がそれほど拡大していないのに、主観的な「格差感」は大きく拡大していることに気づいて、人間の心理や意思決定のクセに注目するようになりました。

 労働経済学者として労働法の政府委員会に参加して、男女雇用機会均等法は罰則のない努力義務で始められたのにどうして雇用主は順守したのかについて、法学者らと議論したことも、行動経済学に興味を持つキッカケになったと思います。

佐々木先生 この連載のテーマは、行動経済学の「実践」です。実践と聞くと今は「ナッジ」を想像する人が多いと思いますが、過去はどのような状況だったのですか?

大竹先生 「行動ファイナンス」の研究と実践が盛んでした。日本の行動経済学会は00年代に設立されましたが、当時のメンバーには金融・ファイナンス分野の研究者・実務家が多くいます。投資家の意思決定の特徴を明らかにできると経済的利益にも結びつくので、そのことも研究や実践が盛んになった一つの理由でしょうね。

佐々木先生 たしかに「●●バイアス」と呼ばれる人間の意思決定のクセには、行動ファイナンスの分野で発見されたものも多いですね。

大竹先生 他にも、国内総生産(GDP)に代わる経済厚生の指標として「幸福度」が着目され、その政策活用の検討にも行動経済学者が参加していました。