三代にわたり米国大統領が封印してきたパンドラの箱をトランプ大統領が解き放ち、今月上旬、米国が遂にイスラエル大使館のエルサレム移転に踏み出した。当然ながら、アラブ・イスラム世界だけでなく、全世界に衝撃が走った。

 筆者は、1995年より2年間、在イスラエル日本大使館に専門調査員(パレスチナ政務)として勤務していた。当時は93年のオスロ和平合意を受けて、パレスチナでの部分的自治の開始とイスラエル軍の撤退が急展開していた。オスロ合意の指導原則は「和平と土地の交換」であったから、和平が進展することは、イスラエルとパレスチナが分離共存、つまり二国家がお互いの領土を認め合い、共存することとなる。こうしたさなか焦燥感にかられた極右ユダヤ青年によるラビン首相暗殺事件(95年11月)が発生した。

 もちろん焦燥感にかられたのはイスラエルの強硬派だけではなかった。96年はエルサレム建都3000年にあたり、それにもかかわらず聖地で急展開する土地との交換による和平に、米国のユダヤ系などの保守層が焦燥感を強めた。オスロ和平の急展開に応じて取られた米国の、とりわけ議会の対応が、他ならぬ今回の「エルサレム大使館法」(略称)である。

エルサレム大使館法とは何か?

 「エルサレム大使館法」とは、95年10月23日に第104議会を通過した法律(Act)で、正式名称を「米国大使館のエルサレムへの移転その他を規定する法律」という。

 わずか全8条からなる本法の骨子は、99年5月末までに、テルアビブにある米大使館のエルサレムへの移転を準備し、予算措置を講じることを目的としたもの。そのために、99年の海外での建物取得維持のための国務省予算の50%を、エルサレムに大使館が開設されるまで凍結すると定めている。つまり、国家予算の権限を有する議会が予算を担保にとることで、大統領など行政府の行動を縛る意図を持った法律である。

 また同法は、「エルサレムは分断されることなく、イスラエル国の首都である」と規定しており、国際関係、外交を司る大統領の権限にまで踏み込んだものになっており、そのことが常に問題視されてきた。

 同法の注目すべきポイントは、在イスラエル米国大使館のエルサレム移転に関する実質部分と、エルサレムをイスラエルの首都と認める宣言的部分の二つの要素から成り立っていることである。