いつの時代も社会の中心にあるのは、人々をどのように管理するのかという問題である。二十世紀の世界では、人々を管理する政治経済のシステムは、「ファシズム」「共産主義」「資本主義」の三つの選択肢のどれが最良なのかを巡り争っていた。第二次世界大戦はファシズムとそれ以外との戦いであったと言ってもいいかもしれない。ファシズムは強烈な全体主義であるが国家主義に基づいている。ファシズムでは共同体として人々を団結させる(イタリア語で「束」を意味するfascio)ために、「国家」「民族」という概念が前面に押し出され、「愛国心」という感情によって人々が統制され、管理された。植民地を侵略していったのも、国家の名の下で自立したブロック経済をつくることが目的であった。しかしそのファシズムは、第二次世界大戦で完膚なきまでに叩き潰されて、瓦解することとなった。

それは同時に、ナショナリズムと決別し、グローバリズムへと世界が進むことを宣言することでもあった。戦後、残ったシステムである資本主義と共産主義は、どちらも国家という枠組みで物事を捉えず、世界全体を自分の陣営で埋め尽くすことを望んだからだ。だから国家を超えて、一つのシステムで世界を覆うグローバリズムを目指して両陣営は戦った。共産主義はソビエト連邦のような形で、国を超えた連携のシステムを拡げた。資本主義はドルを基軸通貨としたアメリカによって推し進められ、また欧州連合のような枠組みで共通通貨としてユーロの流通や、域内の移動の自由を認める形で国を超えていった。両陣営は、どちらもグローバリズムを目指してはいたが、人々を管理するための手法は正反対であるように思える。

共産主義や社会主義はファシズムと同様に強烈な全体主義であるが、それは国家ではなく社会の平等や公平という理想や理念に基づいている。個人の自由よりも社会の理想を重んじ、そのために個別の都合や勝手を許さず全員を一体化させるシステムが目指された。そこでの選択肢は限られたものであり、人々の自由は制限されていた。そのため、このシステムでは「怒り」、あるいはそれに反応する「恐れ」という感情が人々の管理に用いられた。

規律の名の下で国家権力が人々の行動を制限し、それに背そむいた者は厳しく罰せられ、表で堂々と血が流れる全体システム。そこでは、むしろ積極的に血を流すところがプレゼンテーションされ、恐怖で人々を管理する材料にされる。そして人と人を互いに監視させ敵対させることで、怒りで人々を分断して統治する狙いがある。このシステムのもとでは、人は欲望を表向きには隠して、社会的に正しいことをせねばならない。そこでは裏で密かに権力に取り入るほんの一部の人々が利益を手にし、多くの人々の中には不満と恐怖、そして怒りが常に渦巻くことになった。

それに対して資本主義を動かしているのは、理念よりも利益であり、全体の規律よりも個人の自由を目指す力だ。そこでは「夢」というポジティブな言葉でコーティングされた「欲」の感情が人々の管理に用いられ、行動が導かれる。資本主義の至上の命題は、欲望と快楽を全面的に肯定することであり、それを保証するのが金かねの力であった。そこでは、ありとあらゆる欲望の限りを尽くすために選択肢を無限に増やすことが自由であるとうたわれていた。

資本主義では利益を求めて動くことは正当性を持っており、それはますます遠心的に拡大を目指す。だから、資本主義を採用した世界の先進諸国と企業は、資本主義の範囲をグローバルに拡大することを是として際限なく生産活動の拡大を続ける。地球環境から莫大な資源を収奪し、旧植民地国や社会的弱者から労働を搾取し、その責任は第三諸国に押付けられながら開発を進めてきた。それは市場原理のメカニズムで正当化され、金融と結びついたネオリベラリズムのもとで、さらに経済的格差を拡げていった。

欲にもとづく資本主義では怒りや流血は隠され、人々の目に見えないところで起こる。たとえ血が目の前で流れていても、欲望にすっかりと目が眩くらみ、快楽を追いかける人々の目には入らない。あるいは怒りや流血すらも利益を得るための理由にされるか、エンターテインメントとして生活のスパイスに転じられる。そんなシステムの冷徹さに気づいた人に対しては、罪悪感を埋めるための社会活動や慈善活動が周到に用意されている。本質的な問題から目を逸らされ、現場の問題へと集中させられる裏で、あらゆる問題はしっかりとビジネスに結びつけられているのである。

そんな欲のシステムを最も体現したアメリカが戦後の世界を牽引し、あらゆるものを利益に取り込んで膨れ上がった。特にソビエト連邦崩壊後の1990年代からは、実質上は資本主義システムだけが世界に残ったと言える。二十一世紀からは中国も資本主義システムに加わり、ますます世界は快楽と欲望の原理で動くことになった。中国は共産主義国ではあったが、怒りと恐怖で人々を管理しながらも最も欲望に忠実な国でもあった。つまり、「怒り」を否定した世界は、この数十年、「欲」の一色で塗りつぶすことを選択したと言える。

そんな資本主義システムが要求する欲望に沿って、私たちの日々の見方が動機付けられてきた。全てを損得のメガネで眺め、利益を計算し、最も得する選択へと心が追い込まれていたのである。「どうすればより得するのか」「何をすれば人よりも有利になるのか」「今よりも裕福になるには何が必要か」。いつのまにか、そんなことばかりを考えるようになってしまった。利権構造に乗っておこぼれに預かること。人に損させても自分は得すること。なるべく働かずに成果だけいただくこと。そうやって賢く立ち回り、実際の中身よりも、人の目に派手に映ることに成功したものが、評価されるシステムが支配する世界。そんな世界に生きる私たちはもともと欲深くなかったとしても、欲深くなるように管理される。

そうやって欲に導かれて激しい競争を重ねた結果、世界の生産力は最大化した。高度な技術や成熟した産業、大規模なインフラといった「富の果実」が世界規模で実ることとなった。その豊潤な果実が歪な形に熟れ切り、処理し切れないほどの大量の廃棄物とどうにも埋まらない格差のため、今にも落ちそうになった2020年。偶然にもパンデミックが世界中を襲った。なんとも絶妙な収穫時期ではないか。この世界の富が最も美味に熟す頃合いまで、まるで収穫を待っていたかのように見える。


本稿は、2022年1月25日に上梓された拙著『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』第七章「管理」より抜粋した。

『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』
ハナムラチカヒロ 著
四六変形・316ページ
定価:1,980円(本体1,800円)
発行:河出書房新社(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309291826/)

山極壽一氏(人類学者)推薦文!
「過剰な情報が飛び交い、民主主義の非常事態に直面する私たちに、時代の真実を見抜き、この閉塞感から解放されるまなざしを与えてくれる。」

目次

第一章「常識」  第二章「感染」  第三章「平和」
第四章「情報」  第五章「広告」  第六章「貨幣」
第七章「管理」  第八章「交流」  第九章「解放」