親子で楽しみたい物語をご紹介している本連載「親子のためのものがたり」。今回は楠山正雄の「牛若と弁慶」を取り上げます。牛若丸のお話は何となく知っているけれど、細かいところまでは知らないという大人も多いのではないでしょうか。牛若丸の成長から弁慶との出会いまでの物語を、お子さんと一緒に楽しんでください。

「牛若と弁慶」を子どもに聞かせよう!

歴史上の人物でもある源義経(牛若丸)には伝説も多く、とくに有名なのが五条大橋での弁慶との出会いではないでしょうか。今回は、この五条大橋のシーンを中心に義経と弁慶の物語をまとめた、楠山正雄による「牛若と弁慶」をご紹介します。

「牛若と弁慶」のあらすじ

平家に父を殺された源氏の子、牛若

昔、源氏と平家が戦争をしていた時のことでした。源氏の大将義朝には悪源太義平(あくげんたよしひら)や頼朝のほかに、今若(いまわか)、乙若(おとわか)、牛若(うしわか)という3人の子どもがいました。牛若が生まれたばかりの頃、平家に負けた義朝は逃げ隠れているうちに家来の長田忠致に殺されました。

平家の大将、清盛は源氏の報復を恐れ、義朝の子どもを殺そうとします。義朝の奥方である常盤御前は、3人の子どもを連れて大和の国に隠れました。常磐を見つけられない清盛は、常磐の母である関屋というおばあさんを捕まえて、「死にたくなければ常磐の居場所を言え」と毎日酷く責めました。

常磐はこのことを聞いて、「お母様が殺されてしまう、私が名乗り出ても子どもたちはまだ小さいから、頼んだら殺さないでくれるかもしれない」と思って、京都へ出かけました。

ちょうど冬のことで、雪が強く降っていました。さんざん難儀をして、清盛のいる京都の六波羅の屋敷に着いた常盤は、こう言います。

「常磐でございます、3人の子どもを連れて出ました。私は殺されてもかまいません、母の命をお助けくださいまし。子どもたちもこのとおり、小さな者ばかりでございます、命だけはどうぞお助けくださいまし」

親子の痛々しい様子を見ると、さすがの清盛も気の毒に思って、その願いを聞き届けてやりました。

こうして今若と乙若はお寺へやられました。牛若はまだお乳を飲んでいるので母のそばにいることを許されましたが、7つになると鞍馬山の寺へやられました。

やがて、だんだん物がわかってきた牛若は、父が平家に滅ぼされたことを人から聞いて、悔しがって泣きました。「毎日お経なんか読んで坊さんになっても仕方がない、俺は平家を滅ぼして、父上の仇を討つのだ」

\ココがポイント/

✅源義朝の子どもで一番幼い子が牛若だった

✅清盛は義朝の子どもを殺そうとするが、常盤の嘆願で幼い子どもたちは助かった

✅物がわかるようになった牛若は、剣術を覚えて父の仇を打とうと考える

僧正谷での剣術の稽古

鞍馬山の奥に僧正谷(そうじょうがたに)という谷があります。松や杉が茂っていて、昼でも暗いような場所です。牛若は毎晩、人が寝静まってからお寺を抜け出して僧正谷へ行き、一人で剣術の稽古をしました。そして、一番大きな杉の木に清盛という名をつけて、小さな木太刀でぽんぽん打ちました。

ある晩、牛若が剣術の稽古をしていると、どこからか鼻の高い大男が羽団扇を手に現れ、黙って牛若の稽古を見ています。牛若が「お前は誰だ」と尋ねると、大男は笑って、「俺はこの僧正谷に住む天狗だ。お前の剣術はだめだな。今夜から俺が教えてやろう」と言いました。

「それはありがたい。ぜひ教えてください」と、牛若は打ってかかりますが、天狗は軽く羽団扇であしらいました。この時から天狗は毎晩牛若に剣術を教えてくれ、牛若は剣術がどんどん上達していくのでした。

しかしある日、告げ口によってこのことが寺の和尚にばれてしまいます。驚いた和尚すぐに牛若を呼び、髪を剃って坊さんにしようとしますが、牛若は小太刀に手をかけて、和尚を睨みました。その勢いに恐れて、髪を剃ることは和尚も諦めました。

牛若はまた「坊さんになれ」と言われるに違いない思って、ある日、鞍馬山を下りて京都へ出ました。牛若が14、5歳の時のことでした。

\ココがポイント/

✅牛若は毎晩、僧正谷で一人、剣術の稽古をしていた

✅ある日、天狗が現れて牛若に剣術を教えてくれることになった

✅牛若が剣術を習っていることを知った和尚は牛若の髪を剃ろうとする

✅今後も「坊さんになれ」と言われると思い、牛若は寺を出て京都に向かった

弁慶という男

その頃、京都の北にある比叡山に弁慶という強い坊さんがいました。この弁慶は生まれる前にお母さんのおなかに18ヶ月もいたので、生まれた時には3歳の子どもくらいの大きさでした。生まれたとたん「ああ、明るい」と言って、いきなり歩き出したそうです。お父さんは気味悪がって、大きくなるとすぐお寺へやってしまいました。

しかし、生まれつき気が荒く力も強いので、少し気に食わない事があると暴力を振るいます。誰もが弁慶を恐れていました。

ある時、弁慶は思いました。「宝はなんでも1000という数を揃えてもつものだそうだ。俺も都で刀を1000本揃えよう」

こう考えた弁慶は、黒糸威(くろいとおどし)の鎧の上に墨染の衣を着て、白頭巾を被り薙刀(なぎなた)を手にして、毎晩五条橋の袂に立っていました。そして刀を差した人が来ると、飛び出して行って奪い取ります。やがてこのことが噂になり、人々は恐れて日が暮れると五条橋を通らなくなりました。

ある時弁慶が刀を出して数えてみると、999本ありました。弁慶は喜んで、「もう1本で1000本だぞ、最後は最高の刀が欲しいな」と独り言をいいました。

\ココがポイント/

✅弁慶という強いお坊さんがいた

✅弁慶は刀を千本集めるために五条の橋に立って、人から刀を奪っていった

✅やがて弁慶が奪った刀は999本になった

主従の約束を結ぶ牛若と弁慶

この弁慶の噂を聞いた牛若は、「おもしろい、天狗でも鬼でも、そいつを負かして家来にしてやろう」と思いました。そこで月の綺麗な夜、黄金造りの刀を差して笛を吹きながら、五条橋の方へ歩いて行きました。

弁慶ははじめのうち、子供かとがっかりしましたが、その刀に気が付くと橋の真ん中に飛び出して行って、牛若に立ちはだかりました。牛若は笛を止めて、「邪魔だ、どかないか」と言います。弁慶は「その刀を渡せばどいてやろう」と答えました。

牛若は弁慶をからかってやろうと思いつきます。「欲しけりゃやってもいいが、だだではやれないよ。力づくでとってみろ」

弁慶は怒って、いきなり薙刀で横殴りに切りつけました。しかし牛若はすでに後ろに飛び退いていました。弁慶が驚いてまた切りかかるも、牛若はひょいと橋の欄干に飛び上がって、腰に差した扇を取って弁慶の眉間へと打ちつけました。不意を打たれて薙刀を欄干に突き立てる弁慶。牛若はその間に素早く弁慶の後ろに回り突き飛ばしました。そしてその上に馬乗りになって、「どうだ、まいったか」と言いました。

弁慶は悔しがって跳ね起きようとしましたが、重石で押さえられたように動けません。

「どうだ、降参して俺の家来になるか」

「はい、降参して家来になります。私はこれまでずいぶん強いつもりでいましたが、あなたには敵いませんでした。あなたはいったい誰なのですか」

「俺は牛若だ」

「源氏の若君ですね。どうりで。あなたのようなりっぱなご主人をもてば私も本望です」

こうして牛若と弁慶は、主従の固い約束を交わしました。

牛若は間もなく元服して九郎義経と名乗り、兄である頼朝を助けて平家を滅ぼしました。弁慶も義経と共に戦に出て活躍しました。そして、義経が頼朝と険悪になったあとも義経に忠義を尽くし、最後には奥州の衣川(ころもがわ)で義経のために討死したということです。その時、身体中に矢を受けながらじっと立って敵を睨み付けたまま死んでいたので、弁慶の立往生だと言って、皆が驚きました。

(おわり)

\ココがポイント/

✅弁慶の噂を聞いた牛若は刀を差して五条橋に出向く

✅敗れた弁慶は牛若の家来になることを約束する

✅弁慶は始終、牛若(義経)のそばを離れず忠義を尽くして死んだ

子どもと「牛若と弁慶」を楽しむには?

天狗が出てきたり、弁慶が生まれた時から人と違って大きかったり、子どもが聞いて面白い要素も随所にありますね。歴史が好きな子にもおすすめでしょう。

子どもと「牛若と弁慶」についてコミュニケーションするきっかけとして、

・天狗に剣術を教えてやると言われたら、どうする?

・牛若と弁慶、どちらが好き?

・自分が牛若だったら、弁慶を家来にできたらうれしい?

などと聞いてみましょう。

牛若と弁慶が戦う場面は、言葉だけでなく手振りなどを加えて、子どもが牛若と弁慶の動きを想像しやすくしてあげるのもおすすめです。

まとめ

歴史に興味をもつきっかけとしてもぴったりな「牛若と弁慶」。義経の強さを物語るお話ですが、往来で刀を奪っていく狼藉者から一転、潔く負けを認めて牛若の家来になる弁慶の立派さも感じられますね。ぜひ二人の関係性を色々と親子で話してみてください。

(文:千羽智美)

※画像はイメージです

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