◎ハンク・アーロン超えとその余波

 ベーブ・ルースの記録を抜いてから1年後の1977(昭和52)年9月3日、後楽園球場での対ヤクルト戦で歴史は塗り替えられた。午後7時10分、鈴木康二朗のシュートを打つと、打球は超満員の右翼席へ。通算756号。ハンク・アーロンの持つ世界記録を超え、遂に王貞治が「世界のホームラン王」に登りつめた。

 余談だが、この記念すべきホームランの映像は「生中継」されていない。この日、日本テレビの野球中継は午後7時30分から。中継が始まる前にホームランが出てしまったため、日本テレビには600件の抗議電話が届いたという。

 球場でのセレモニー後、王はテレビ出演を終えて食事をとって午前2時過ぎに帰宅。深夜にもかかわらず、自宅周辺には700人ものファンが待ち構えており、もみくちゃにされながら玄関まで辿り着いた。世間はそれほどのフィーバーぶりだった。

 この快挙を受け、2日後の9月5日に、第一号となる国民栄誉賞が授与された。「中国籍の僕ですが、これは僕個人がもらうのではない、野球界を代表して受け取るのだと解釈しました」(王貞治『野球にときめいて』より)。

◎世界記録が王の引退を早めた

 国民栄誉賞を授与された王。第一号という誉れもあって王を讃える空気はその後も収まらず、園遊会に招待されるなど周囲の慌ただしさは増すばかり。こうしてオフには行事が目白押しとなったことが、王のバッティングを徐々に狂わせることになる。

「そんな日々を過ごすうちに、野球への執念みたいなものが次第に薄れていく。集中力がそがれて、打撃の技術的なチェックがあまくなっていったのです」(『野球にときめいて』)。

 1980(昭和55)年6月12日の広島戦で通算850号の本塁打を放った王は記者会見で、「あと2、3年はやりたい。900号は打ちたい」と語ったが、夏場以降、ピタリと当たりが止まってしまう。

「『七五六号』という山を越えたことで周りが騒がしくなり、今までのようにボールに集中できなくなってしまった。『七五六号』が『八五○号』だったら違っていたかもしれない。夢を語るのをゆるしてもらえれば、僕はホームランを四ケタ打てると思っていたのです」(『野球にときめいて』)。

 しかし、狂った打撃は戻らぬまま、この年「王貞治のバッティングができなくなった」という名言を残して王はバットを置いた。通算本塁打数は868本だった。

 1980(昭和55)年は王の引退だけでなく、長嶋茂雄監督もシーズン3位の責任をとって辞任。野球界を牽引してきた「ON時代」が終わった年でもあった。

 野球界からはその後、衣笠祥雄【1987(昭和62)年6月22日授与】、長嶋茂雄・松井秀喜【2013(平成25)年5月5日授与】と、王も含め計4人の国民栄誉賞受賞者を輩出している。
(文=オグマナオト)

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