ドラフト会議で一番最後に名前を読み上げられた選手――。つまり、プロ野球選手になれる人間と、なれない人間の境目にいる「ドラフト最下位指名選手」。そんな人物は、一体どんな野球人生を送るのか。2度のドラフト最下位を味わった由田慎太郎(オリックス)。


就職活動に失敗してプロ志望へ

「……今はまだわからないと思いますが、彼らは物凄く恵まれた環境で野球をやれているんですよね。僕も現役の時は、わかりませんでした。この環境で野球をやれるのが当たり前だと思っていましたから」

 5月。神宮球場のバックネット裏で春のリーグ戦を観戦するオリックススカウト・由田慎太郎はしみじみとつぶやいた。

 2003年。史上初の4連覇を果たし“歴代最強”と謳われた早稲田大学。1番田中浩康、2番青木宣親、3番鳥谷敬、4番比嘉寿光、5番武内晋一。そして6番ライトの由田慎太郎までが最終的にドラフトで指名され、プロ野球の世界へと進んだ世代。特に2003年は、その年のナンバーワン候補として早々に阪神の自由枠が決まった鳥谷。ヤクルト、広島に指名確実とされた青木と比嘉。そして、由田の4人がプロから指名されている。

 ただ、由田は他の3人とは少し事情が違っていた。オリックス・ブルーウェーブのドラフト8位。それは2003年のドラフト最下位指名選手であった。

 2003年11月19日。14時からはじまったドラフト会議は、その冒頭で自由獲得枠の鳥谷の名前が読み上げられ、その後も比嘉が広島の3巡目、青木はヤクルトの4巡目と予定通りに指名を受けた。早稲田大学戸山キャンパスの教室に集まっていた彼らは、指名の度に部員たちから盛大な拍手と祝福を集め、満面の笑みを浮かべていた。

 そんな中、由田慎太郎だけは、いつまでも緊張の面持ちを崩せずにいる。連絡がこない。午後3時過ぎ。ドラフト開始から1時間半が経っても指名の報せは届かなかった。5巡目、6巡目と指名が終わり、1球団、また1球団と指名終了が宣告される。

「いや、キツかったです。3人が指名されてから時間が空いて、次第に『チッ、まだかよ』と舌打ちが聞こえてきそうな息苦しい空気になりましてね。僕はもう指名はないんじゃないかって本気で覚悟していました」

 その年のリーグ戦。春は首位打者とベストナイン。秋は打点王とベストナインを獲得した由田。名門早稲田大学で1年生からベンチ入りし、「打つだけならば鳥谷以上」との声もあった彼がドラフトの最後の最後まで名前を呼ばれなかったことには理由があった。

「僕は最初、就職しようとしていたんです。大学1年生の頃から膝がずっと悪くて、上でやるのは無理だろうと諦めていて、4年で監督に進路を聞かれた時も『就職しようと思っています。でも就職活動で練習を休みたくないので、2社だけ受けさせてください』と伝えたんです。この試験に落ちたらその年は就職浪人するつもりで」

 この1年で俺の野球は終わりだ——。そう決意して挑んだ2003年春のリーグ戦。しかし、ここから由田の人生はあらぬ方向へ転がり始めた。

「由田くん、見てるよ。頑張っているね」

 リーグ戦の最中に行われた大手広告代理店の面接で、野球好きの面接官にこんな声を掛けられるほど、由田のリーグ戦でのバッティングは好調だった。終わってみれば4割3分2厘で本塁打が出ていれば三冠王という堂々たる成績で首位打者を獲得。ベストナインにも選出された。

 あれだけ悩まされた膝の痛みも気持ちの面で終わりが見えたからか調子もよく、大学に入って初めてというぐらい伸び伸びとプレーができた。

 そうなれば野球人たる者、野球への欲が再びもたげてくるのは自明の理。このまま膝がよければ、プロでも勝負ができる。

 時は夏。折しも暑中見舞い代わりに広告代理店からの不採用通知が届いたことも手伝い、由田の気持ちはプロ志望に傾いていく。

「オマエ、今さら何言っとんのや……」

 監督の野村徹にプロ志望の意志を伝えると、当然、呆れられた。無理もない。これまで大学に来て由田に興味を示したようなスカウトにも「由田は膝が悪いので就職します」と断ってきているのだ。急転、「プロに行きたいです!」と言いだしてみても、ほとんどの球団に相手にしてもらえない。

「今思えば、当然ですよ。4年の最初から“プロに行きたい”という意思表示をしていなかったんですから。それでは思いは弱いですよね。スカウトの方も難しいでしょう。僕が膝が悪いという情報も知っていたでしょうし」