《地方大会珍事件簿・荒れた試合編》野球の父がサーベルを振り回し、大沢親分が審判を蹴り倒す!?
 全国各地で幕を開ける夏の高校野球地方大会。今年も歓喜と悔し涙が入り混じる熱い夏がやってきた。
 甲子園に進むのは49校。不戦敗などを除けば、出場校数から1を引いた数だけ全国で試合が開催されるまさにビッグトーナメント。これまでの長い歴史の中では幾多ものハプニングが起こっている。

 本連載『まさか、なんてこった! 甲子園・地方大会の珍事件集』では、ずばり地方大会で起こった事件を集めてみた。今回は高校野球黎明期から戦後期などに地方大会で起きた大荒れの試合を紹介しよう。

◎【1912年】「野球」の父がサーベルを振り回す!?

 まだ甲子園大会が開催されていないころなので、地方大会と呼べるかは定かではないが、1912年の新潟中(現・新潟高)と高田中(現・高田高)との試合で騒動が発生している。試合は高田中が勝利を収めたが、その結果に納得できない新潟中の応援団が高田中の選手を取り囲む事態になった。

 そこに現れたのは当時新潟中の校長を務めていた中馬庚。ベースボールを初めて「野球」と訳したことで知られる「野球の父」である。

 中馬は落ち着くように応援団に指示したが、応援団は頭に血が昇っており従わない。ついに中馬はサーベルを持ち出し、自軍の応援団に斬りかかり、騒動を収めたという。高校野球で刃物が登場する唯一のエピソードである。


◎【1926年】落球は大荒れのもと……

 戦前の高校野球はなかなか大荒れのエピソードが多い。なかでも群を抜いているのが1926年夏の北関東代表決定戦、宇都宮中(現・宇都宮高)と前橋中(現・前橋高)の一戦だ。

 7回、2点差の緊迫した試合展開のなか、宇都宮中は一死満塁のチャンスを作った。続く打者は内野ゴロとなり、三塁走者はホームに突入。際どいタイミングでクロスプレーとなったが、判定はアウト。しかし、捕手が落球していたようで宇都宮中は猛抗議。

 そもそもフォースプレーだと審判は抗議を却下したが、それに怒った宇都宮中の応援団が柵を破ってグラウンドに突入。審判団に襲い掛かり、警察が出場する騒擾に。結局、宇都宮中は「自分たちの抗議が発端」と試合を棄権し、前橋中の勝利となった。

◎【1980年】落球は大荒れのもと2

 1980年夏の埼玉大会決勝、熊谷商対川口工の一戦も大荒れ試合として有名だ。試合がにわかに荒れだしたのは5回。1点を追う川口工が盗塁を仕掛けたが、判定はアウト。しかし、このとき熊谷商の二塁手は明らかにボールを落球しており、当然、川口工は抗議した。審判団が集まり、通常であれば判定が覆るところだが、再度アウトのコール。

 これに怒った川口工のファンがグラウンドに乱入し、審判に詰め寄る事態に。騒ぎは一旦収束したが、スタンドから物が投げ込まれるなど異様なざわめきは収まらず。

 これが選手に伝播したのか、激しい接触プレーの連続でグラウンド内も一触即発のムードになった。試合は熊谷商が勝利したが、何とも後味の悪い決勝戦になった。


◎【1951年】試合後に選手が審判を襲撃!

 判定が納得行かずに審判を殴ってしまう。そんなマンガのような話が本当にあった。当事者は「親分」こと故・大沢啓二氏(元南海ほか)。神奈川商工のエースに君臨していたが、度重なる不利なジャッジを受け、2回戦で敗れてしまった。

 試合後も腹の虫が収まらない大沢青年だったが、トイレでばったりと球審と遭遇。なんと蹴り倒してしまった。しかし、この審判が大沢の勝気な態度に惹かれて母校・立教大にスカウト。その後、大沢青年は東京六大学リーグで活躍することになる……が、神奈川商工は1年間の出場禁止処分を受けた。とんだ置き土産である。


文=落合初春(おちあい・もとはる)