俺たち同級生〜あまり語られぬ1973年・イチロー世代には中村紀洋、松中信彦ら個性派野手がずらり
 日米通算4367安打を放ったイチロー(元マリナーズほか)が、現役を引退してから1年以上が過ぎた。イチローの現役時代を思い返すと、あまりにも常人離れしすぎていたこともあり、「松坂世代」や「1988年生まれ世代」といったように世代で括られることはあまりなかった。

 そんなイチローは1973年生まれ世代(1973年4月2日〜1974年4月1日生まれ)。同世代にはどのような選手がいたのだろうか。少し振り返ってみたい。

◎名球会入りが3人、平成唯一の三冠王も!

 この世代の野手は個性あふれるメンバーが揃っている。2000本安打達成者がイチロー、中村紀洋(元近鉄ほか)、小笠原道大(元日本ハムほか)の3人。それぞれタイプも違い、強烈な個性を持っていた面々であることに異論はないだろう。

 ほかには平成唯一の三冠王である松中信彦(元ソフトバンク)、礒部公一(元楽天ほか)、清水隆行(元巨人ほか)、小坂誠(元ロッテほか)、坪井智哉(元阪神ほか)など各チームの主力選手が名を連ねる。また、2月に急逝した野村克也氏の息子・野村克則(元ヤクルトほか)も同世代だ。

 イチローと中村は高卒でプロ入りを果たしたが、小笠原、松中、礒部、小坂、坪井と社会人を経由してプロ入りした選手も多い。

 一方の投手陣はどうだろうか。野手のように名球会入りの条件となる200勝、250セーブに到達した選手はいない。しかし、それでも好投手は揃っている。

 日米で活躍した石井一久(元ヤクルトほか)や三浦大輔(元DeNA)、黒木知宏(元ロッテ)とエース級がずらりと並ぶ。その他にもMLBのロイヤルズでもプレーした薮田安彦(元ロッテほか)や日韓でプレーした門倉健(元中日ほか)、大卒社会人でプロ入りし1年目から活躍した川越英隆(元オリックスほか)や小林幹英(元広島)もそうだ。

 イチローだけが輝いていたわけではなく、ほかの選手たちからもスターは生まれていたのである。また引退後も野球界で活躍している人物が豊富にいる。

◎高校時代に注目を浴びた選手はプロ入り後に苦しむ

 球史に名を残す活躍を見せたイチローや中村、小笠原、松中らは高校時代に全国区で注目を浴びる存在ではなかった。イチロー、中村は甲子園に出場しているが、「ドラフト1位指名確実の金の卵」という扱いではなかった。両選手のドラフト4位という指名順位からも、当時の評価がよくわかる。

 高校時代に話題となった選手たちの多くは、プロ入り後に結果を残すことができなかった。

 天理高2年時に1学年上の南竜次(元日本ハム)とともに夏の甲子園制覇を成し遂げた谷口功一(元巨人ほか)は、1991年のドラフト1位で巨人に入団。プロ入りまでの軌跡は華々しいものの、引退までに1軍での登板は7試合にとどまり、未勝利に終わった。

 その天理高と夏の甲子園決勝で対戦した沖縄水産高の主力選手だった大野倫(元巨人ほか)も苦しんだ。今度こそは、と沖縄県勢初の優勝を目指した翌1991年夏の甲子園でも決勝で敗戦。高校時代の投げ過ぎによる右ヒジの故障で、その後は野手に転向を余儀なくされた。九州共立大を経てプロ入りするも、わずか5安打に終わっている。

 1991年夏の甲子園で沖縄水産高を下し、大阪桐蔭高を初の全国制覇に導いた萩原誠(元阪神)も、プロ入り後は124試合の出場で打率.192(198打数38安打)と結果を残せなかった。

 そのなかでプロでも結果を残したのが、3年春の甲子園で35回連続無失点と快投を見せた松商学園高の上田佳範(元日本ハムほか)だ。プロ入り後は野手に転向し、通算1027試合に出場。1997年には打率3割も記録している。

 「高校時代の活躍がそのままプロ入り後の活躍に結びつくわけではない」というのが如実に現れた世代でもあった。

 今回取り上げた選手の多くは今年で47歳になる。コーチやフロント職としては働き盛りの世代だ。それこそ楽天・石井GMのように選手とは違う立場で、存在感が増すだろう。

(敬称略)

文=勝田聡(かつた・さとし)