【ソウル聯合ニュース】「今思うと、どうやって生き延びたのか分かりません。その苦労は…。言葉で言い表せません」――。

 日本による植民地時代に端島炭坑(軍艦島、長崎県)に強制徴用された朝鮮人が命がけで島を脱出しようとする姿を描いた韓国映画「軍艦島」(原題)の公開を機に、徴用被害者のチェ・ジャンソプさん(88)、イ・インウさん(92)がソウルの日帝強制動員被害者支援財団で聯合ニュースのインタビューに応じた。

 1943年に徴用されたチェさんは、「海に囲まれた端島で3年間、『監獄生活』を送った。下着だけ着て作業した。残酷だった当時を思いだすと息が詰まる」と語った。

 三菱が運営した端島炭坑の労働者の大半は強制徴用された朝鮮人または中国人だった。公式の記録によると1939〜1945年に約800人の朝鮮人が軍艦島に連行され、134人が亡くなった。

 端島炭坑で働かされた朝鮮人の大部分は坑道の奥深くで石炭を採掘したか、採掘跡が崩れないよう埋める作業をした。チェさんは後者で「日本人の監督が『若いのにかわいそうだ。石が落ちて頭にぶつかるのに』と言っていた。案の定、頭に大けがをし、入院した」と振り返った。

 チェさんや同僚は1日2交代制で12時間働いた。食料はわずかで、坑道の中まで忍び込んできたネズミに食べられたこともあった。チェさんは「何度も祖国を恨んだ」という。

 当時、5万8000人余りの朝鮮人が日本の炭坑や製鉄所、造船所などに強制徴用されたとの記録が残っている。中でも軍艦島は四方が海に囲まれているため「監獄島」または「地獄島」とも呼ばれた。脱出を試みた人もいたが陸地にたどり着く前に溺死するか、つかまったという。

 イさんは「端島の隣に小さな島があったが、そこは火葬場と呼ばれた。作業中に、または脱出しようとして死んだ人たちを火葬した」と証言した。

 イさんは「端島に8カ月ほどいた後、20歳になって日本軍に徴集された。(端島での強制労働が)どれほど過酷だったことか。軍に行くのに『助かった』と思ったほどだった」と語った。

 2015年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」(全23施設)には端島炭坑をはじめ日本による植民地時代に朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた7施設が含まれている。

 登録当時、日本側は世界遺産委員会で「forced to work」と言及し、強制徴用があったことを認め、2017年12月までに強制徴用の事実を説明する案内板を設置すると約束した。しかし、その後日本当局は「forced to work」が「強制労働を意味するものではない」と主張。期限が5カ月後に迫っているが約束履行の計画は発表されていない。

 日帝強制動員被害者支援財団のキム・ヨンボン理事長は「約束を守らなければ遺産登録が取り消される可能性があるので日本が案内板を設置するとみている。設置されなければ民間レベルで対策を講じる」と述べた。

 キム理事長は「日本は1965年の韓日請求権協定により支給した3億ドルで被害者に補償したとの立場だが、当時、そのお金はポスコや韓国道路公社のような公営企業に支援され、ほとんどの被害者と遺族は受け取ることができなかった」と指摘した。

 その上で「請求権協定で恩恵を受けた企業が今からでも強制徴用被害者と遺族のために支援に乗り出すべきだ。被害者支援と財団存続のための特別法も国会で可決されなければならない」と強調した。