【ソウル聯合ニュース】北朝鮮が約3年9か月間維持してきた核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験のモラトリアム(一時停止)は、米朝の信頼と北朝鮮の非核化を象徴する代表的な措置だった。

 北朝鮮は19日に開かれた朝鮮労働党中央委員会政治局会議で、「暫定的に中止していたすべての活動を再稼働する問題を迅速に検討するよう指示した」と明らかにした。「すべての活動」については具体的に言及しなかったが、専門家らは2018年4月に党中央委員会総会で決めた核実験とICBM発射実験の中止を指すとの見方を示している。

 北朝鮮は当時、同月21日から核実験とICBM発射実験の中止を宣言する決定書を採択。「核実験中止の透明性を担保する」として、計6回の核実験を行った北東部の豊渓里にある核実験場の廃棄を表明した。

 当時は同年2月の平昌冬季五輪に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党総書記)の妹、金与正(キム・ヨジョン)党副部長ら高官級代表団が韓国を訪問して朝鮮半島情勢が好転し、南北・米朝首脳会談を控えていた時期だった。自主的に核実験とICBM発射実験の中止を宣言し、会談の雰囲気を盛り上げていた。

 北朝鮮は同年5月、外国メディア関係者が見守る中、豊渓里の核実験場を爆破した。核実験とICBM発射実験のモラトリアムも19年2月の米朝首脳会談以降、南北・米朝関係が膠着(こうちゃく)状態に陥った中でも現在まで維持している。

 このため、韓国政府は北朝鮮が「レッドライン」を越えていないとして、朝鮮半島情勢が比較的安定していると評価してきたが、北朝鮮は約3年9か月ぶりにモラトリアムを解除する可能性を示唆し、米国への圧力を強めている。

 北朝鮮は過去にも核実験とICBM発射実験のモラトリアムを非核化交渉の手段や対米交渉のカードとして積極的に使ってきた。1990年代にはクリントン米政権時代の94年10月、米朝枠組み合意を通じ、北西部・寧辺の原子炉の稼働停止を約束し、その見返りとして軽水炉と毎年50万トンの重油の供給を受けることに同意した。99年9月には米朝の高官級会談で米国が対北朝鮮制裁の緩和を約束したことを受け、ミサイル発射実験を中止する方針を表明した。

 2001年5月には当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記が訪朝したスウェーデンのペーション首相との会談で03年までミサイル発射のモラトリアムを維持するとし、翌年9月の日朝首脳会談では「日朝平壌宣言」を通じ、その期間を03年以降に延長する意向を表明した。

 だが、ブッシュ米政権が02年、北朝鮮の高濃縮ウランの開発疑惑を提起。北朝鮮が反発して米朝枠組み合意は破たんした。

 北朝鮮は米国の対北朝鮮金融制裁に対応し、06年10月に初の核実験を実施して緊張を高めたが、翌年、ブッシュ政権が米朝の直接対話に着手したことを受け、初期段階の非核化措置を約束し、07年2月の6カ国協議での合意に至った。北朝鮮は当時、核施設の閉鎖と無能力化、核開発計画の申告、国際原子力機関(IAEA)による査察の受け入れなどを約束し、見返りとして重油100万トン相当の経済支援を受けることになった。合意は一時は順調に進められたが、翌年、核開発計画の検証方法を巡る韓米と北朝鮮の対立が激化し、合意は履行されなかった。