大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でついに源頼朝(大泉洋)が馬上から倒れる場面が描かれました。頼朝が亡くなるのが、建久10年(1199)1月13日、享年52。頼朝が落馬するシーンを見て「まるでドラマのエンディングのよう」との声もネットで聞かれましたが、もちろん、これからもドラマは続きますし、今後の展開こそが「鎌倉殿の13人」の見せ場となるのです。誤解を恐れずに言えば、これまではドラマの「壮大な序章」に過ぎないと言えましょう。

 頼朝が死んでからが、主人公・北条義時(小栗旬)が本当の意味で「歴史の表舞台」に立つ時がやって来るからです。もちろん、北条氏が権力を握っていく過程には壮絶な人間ドラマ・権力闘争がありました。

 頼朝死後は、嫡男の源頼家が「鎌倉殿」となります。しかし、頼家はまだ若年。北条時政・義時、比企能員、和田義盛、梶原景時、足立遠元、三浦義澄、八田知家、安達盛長、大江広元、中原親能、二階堂行政、三善康信といった有力御家人(宿老)が頼家を補佐する体制が敷かれます。この13人こそが、今回のドラマの表題「鎌倉殿の13人」なのです。とは言え、ドラマでも既に描かれているように、この13人は一枚岩ではありません。

 特に北条氏と比企氏は犬猿の仲といって良いでしょう。頼家は北条政子を母としますが、比企氏の娘(若狭局、ドラマでは、せつ)は頼家の愛妾となり子(一幡)まで産んでいます。このままいけば、比企氏が外戚(母方の親戚)となり、実権を握っていくことになるでしょう。しかし、北条氏にとってそれは我慢ならないこと。北条氏がどのようにして巻き返していき、比企能員を追い詰めていくのか(しかも義時の妻は比企一族の娘)。それも今後のドラマの見どころの1つとなるでしょう。

 もちろん、それだけではなく、梶原景時、和田義盛、鎌倉殿の13人ではありませんが、畠山重忠、阿野全成も権力闘争の渦に巻き込まれていきます(鎌倉殿の13人の中でも、消えていく者が次第に増えていくことになります)。

 そして、北条時政・義時という親子の仲にも、亀裂が入ることになるのです。これまで仲が良かった北条家にも暗雲が立ち込めていくことになるでしょう。その悲哀と義時の「非情」な決断をどう描くか。義時の内面の葛藤も見どころになるのではないでしょうか。

 そうした凄惨な権力闘争を終えた後に待ち受けているのが「ラスボス」とも言える後鳥羽上皇。上皇方は幕府(義時)打倒を目指して攻勢をかけてくる。それに義時や北条政子はどう立ち向かっていくのか?いわゆる承久の乱(1221年)が山場となるように思います。以上、説明してきたように、源平合戦、頼朝の死を経ても、まだまだ見どころは盛りだ沢山なのです。

(歴史学者・濱田 浩一郎)