アインシュタイン、ニュートン、ホーキングに伊能忠敬まで…天文学者39人の〝スゴさ〟〝ヤバさ〟を取り上げた「国立天文台教授がおどろいた ヤバい科学者図鑑」が4日、扶桑社から発売された。

 著者の本間希樹氏はブラックホールの撮影に成功した国立天文台水沢VLBI観測所の所長。ちょっとためになる“宇宙一おもしろい話”を目指し「ガリレオは軟禁されても失明しても研究しつづけた!」、「負けず嫌いすぎるニュートンはほかの学者とケンカしまくった!?」、「車イスの天才ホーキングは未来人をパーティに招待し…」、「陰陽師の安倍晴明は虫が大好物だった!?」、「ノーベル賞受賞者の小柴昌俊は白紙の答案が正解という試験問題を出した!」といった興味深いタイトルが並んだ。

 天文学の業績に関する「スゴい!」逸話と、偏屈さや協調性のなさなどの変人ぶり、意外な実績を取り上げる「ヤバい!」逸話を交互に記載し、偉大な天文学者のオモテとウラを紹介。「古代」「近代」「現代」と時系列で天文学者を紹介し、人類の宇宙観の変遷が理解しやすい構成をとった。

 子供でも分かるような解説に努めた本間氏は「みなさんは、科学者といわれたら、どんな人を想像しますか? 頭がよくて、なんでもできる秀才でしょうか? それとも、毎日勉強を欠かさない努力家でしょうか?」と問い掛け、「しかし、実は歴史に名前をのこした偉人でも、すべてにおいて完璧な人とはかぎりません。この本に載っている科学者たちの姿を見ると、『スゴい人たちにも意外な一面があるんだ!』と感じていただけるかと思います。ぜひこの本に出てくる先人たちの話から、そんな科学の世界を身近に感じ、そしてこれから自分が『やってみたい!』『不思議だな?』と思うことを見つけて、興味をもったり調べたりしてほしいと思います」と期待を寄せた。

 16世紀に超新星を観測して、遠くの宇宙で起きた現象であることをつきとめた〝観測のスペシャリスト〟デンマークのブラーエ(1546―1601)の「スゴい!」「ヤバい!」を書籍から抜粋。その逸話を紹介する。

【スゴイ!】「自分の目」でおどろくほど正確に観測

 望遠鏡がまだない時代、天文学者たちは「自分の目」で宇宙の観測をおこなっていました。

 16世紀にデンマークの貴族の家に生まれたブラーエは、目で天体観測をおこなっていた時代の最後をかざる、代表的な天文学者です。ティコ・ブラーエは、若いころに見た日食に感動。法律を勉強するために大学に入ったものの、天文学にハマり、親に反対されつつも自分の意志をつらぬきとおして天文学者になりました。

 ブラーエは目による観測のスペシャリストとして超一流でした。1572年には超新星を観測して、それが遠くの宇宙で起きた現象であることをつきとめ、名声を得ます。そして、デンマーク王からの援助を得ると、ブラーエは巨額の資金を使って、当時の最先端の観測機器をつくりました。そのため、ブラーエの観測データは、当時、史上最高の精度を誇っていました。

 しかし、デンマーク王が亡くなるとブラーエの立場も急変。祖国で研究をつづけられなくなったブラーエは1599年にチェコのプラハに移り、わずか2年後に亡くなります。そのプラハでブラーエの助手となったのがケプラーで、ブラーエの死後、そのデータを受けついで惑星の動きを説明する「ケプラーの法則」を発見!

 天文学に革命を起こしました。

 もしブラーエがもう少し長生きしていたら、ケプラーの法則ではなく、ブラーエの法則が生まれていたかもしれません。

【ヤバい!】酔っぱらってケンカし、決闘で鼻を失う…

 天文学者としては、超一流だったティコ・ブラーエですが、その生涯もドラマチックだったようです。

 若いころ、ブラーエは酔った勢いで口ゲンカし、相手に決闘を申しこみました。しかし、この決闘で鼻をザックリそぎおとされてしまいます。そのためブラーエは死ぬまで金属でつくったつけ鼻をつけることに......。

 ブラーエは、死に際にも逸話わがあります。ある日、ブラーエが宴会に参加して帰宅するとおしっこが出なくなり、苦しんだあげく、そのまま治ることなく亡くなってしまいました。

 あまりにも突然に亡くなってしまったため、「弟子のケプラーが、研究成果を横取りしようと暗殺したのではないか」といううわさもあったほどです。

 その後、ブラーエの死因を確かめるために、死体は何度か掘りおこされ、検査もおこなわれました。最新の調査の結果では、腎臓の病気で亡くなったと考えられていますが、かみの毛から見つかった微量の水銀を毒殺説の証拠とする人もいました。

(よろず〜ニュース編集部)