2024/6/11 18:48

「隠し子発覚」事実を認める

びっくり

1985年に放送が始まった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)に松方弘樹がレギュラー出演することになったとき、周囲の人間は「イメージを損なう」として口をそろえて反対したという。

東映の実録シリーズで迫力満点の極道を演じ、テレビ時代劇『大江戸捜査網』(テレビ東京系)や『名奉行 遠山の金さん』(テレビ朝日系)などで主役を張ってきた松方からすれば、この頃のバラエティー番組などは明らかに格下の仕事。それでも松方が出演を決めたのは、「ビートたけしという男に会ってみたかったから」だった。
番組内では「松方部長」と呼ばれ、声を裏返らせ、止まらない汗をハンカチで拭う。そんな松方の姿はおおむね好評を博すこととなった。

かねてより松方は不倫騒動などで、俳優以外の姿を見せていたことから、視聴者側にもある程度の免疫ができていた部分はあっただろう。

松方の初ゴシップは74年のこと。NHK大河ドラマ『勝海舟』で主演の渡哲也が病気を理由に途中降板し、急きょ代役を務めることになった松方は、この作品で勝海舟の愛人役を演じた仁科明子(のちに亜季子と改名)との交際をスタートさせる。
松方は68年に結婚したモデルと3人の子供をもうけており、仁科との交際が始まった時期も婚姻関係は継続していた。

そうして不倫交際を続けた末、松方の離婚成立後の79年に仁科と正式に結婚。松方が前妻に払った慰謝料は3億円とされ、これは当時の芸能界史上最高額ともいわれた。
とはいえ松方は、決して仁科に一途だったということではなく、交際中も結婚後も女遊びを続けていた。松方の盟友である梅宮辰夫は、自身も相当のプレイボーイだったが、松方の遊びぶりは段違いだったと証言している。

仁科とは2人の子供に恵まれたが、だからといって家庭人になるはずがない。87年には元アイドル歌手との間に、2歳になる隠し子がいることが発覚。記者会見で松方は「最初は内緒にしていたんです。でも、そんなもん、すぐにバレまんがな」とあっさり事実を認めているとweekly-jitsuwaは報じている。

松方弘樹“隠し子発覚”後の記者会見で衝撃の一言「そんなもん、すぐにバレまんがな」松方弘樹“隠し子発覚”後の記者会見で衝撃の一言「そんなもん、すぐにバレまんがな」

編集者:いまトピ編集部