『国民的人気番組』をわずか半年ほどで降板...明石家さんま(69)とは「交際寸前の仲」だった
今年10月15日放送の『踊る!さんま御殿!! 3時間SP』(日本テレビ系)に出演した萬田久子が、明石家さんまとの過去の関係について「恋愛しそうだったんだもん」とぶっちゃけ告白した。
さんまも「噂になってたんですよ」とこれに応じて、お互いに交際寸前の仲だったことを認めた。
その時期は番組中で明かされなかったが、おそらくさんま主演のドラマシリーズ『心はロンリー気持ちは「…」Ⅱ』(フジテレビ系)で共演した1985年あたりのことだと思われる。
萬田は『さんま御殿』が放送された直後、自身のインスタグラムを更新。さんまと一緒に仲むつまじいツーショットを公開している。
同月には『萬田久子 オトナのお洒落術』(講談社)と題したファッション解説本も発売され、「年齢なんてただの数字よ!」と言ってはばからない。
帝塚山短期大学在学中の78年、ミス・ユニバース日本代表に選ばれて以来、萬田は「ずっときれいでいたいという思いがあった」という。
こうして上々のデビューを飾った萬田は、それから50年近くが経過した現在でも、ドラマや映画などで活躍を続けている。
「女子高生の役でも、私はできますよ」と冗談めかすが、実際に時代劇のお姫様から敏腕刑事、ホームドラマの主婦まで、これまで幅広い役柄を演じてきた。
だが、それでいて萬田には「代表作」と呼べる作品がほとんどない。美貌に加え実力もありながら、なぜ大きな仕事に恵まれないのか。その理由として考えられるのが、かつての不倫騒動の影響だ。
2018年に出演した『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で、萬田本人が「20代はワンナイトがたくさんあった」「有名人もたくさんいた」などと話したように、デビュー間もなくから「プレイガール女優」として浮名を流してきた。
有名なところでは作曲家の都倉俊一との熱愛が、当時のマスコミを騒がせている。
1985年末には、アパレル関係の実業家である佐々木力氏との交際が表沙汰になり、これは相手方に妻子のある不倫だった。
佐々木氏の会社が主催したファッションショーのモデルとして、萬田が出演したことがきっかけだったという。
同年の暮れから正月にかけて、ハワイで佐々木氏との「不倫ハネムーン」を過ごした萬田は、帰国すると芸能マスコミから「略奪愛」として猛烈なバッシングを浴び、一時は円形脱毛症になったという。
それでも関係は続いて、萬田は87年に妊娠。臨月を迎えたところでニューヨークへ渡り、10月に長男を出産した。
翌年1月に萬田が帰国すると、成田空港に大挙押し掛けた芸能マスコミは「相手男性の妻子の気持ちを考えたことがあるのか」「生まれてきた子供の将来を思えば無責任ではないか」などといった厳しい質問を浴びせた。
しかし、萬田は「未婚の母の状態は快適。自信があるから産んだんです」と気丈に語ってみせた。
佐々木氏が前妻と正式に離婚した後も、萬田は「本当の愛というのは形じゃない」と「事実婚」の状態を続けた(佐々木氏と前妻との離婚に際し、「互いに再婚はしない」との約束がなされていたとの話もある)。
だが、不倫行為に対する世間からの反発は大きかったようで、出産からしばらくの間は仕事量がガクンと減ってしまった。
萬田本人もこの頃には引退を覚悟していたようだが、時がたつにつれてバッシングは収まり、90年代に入ったあたりからは再度、表舞台へ立つ機会が増えていった。
2011年4月には国民的人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)へのレギュラー出演が決まり、いよいよこれからというタイミングで思わぬ不幸が訪れる。
パートナーの佐々木氏がスキルス性胃がんで急逝してしまったのだ。しかも亡くなる直前になって、別に愛人と隠し子がいることを打ち明けられた。さまざまなショックが重なったことから、萬田は『いいとも!』をわずか半年ほどで降板することになった。
それでも苛烈なバッシングを含めて、多くの人生経験を積んだことにより、女優としての幅が広がった部分もあったのだろう。
「もともと演技は好きではなかった」という萬田だが、23年には18年ぶりとなる主演の連続ドラマ『グランマの憂鬱』(フジテレビ系)が放送された。
また、近年は「マダムのファッションリーダー」として人気上昇中というから、まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉がピッタリであると週刊実話WEBは報じている。
編集者:いまトピ編集部