『ドラマ』何が起こっているんだ?脚本の出来が悪すぎ、金が取れる仕事じゃない
どうあれ金曜日にはいろんな片が付くNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第11週の「就職って何なん?」が終わりました。昨日の放送で不倫疑惑が発覚したモリモリ(小手伸也)でしたが、案の定たった1日で疑惑は払拭されました。なんだか無駄に小手伸也自身の過去の不倫報道が掘り返されただけで、ちょっと不憫でしたね。
第55回は米田結(橋本環奈)が専門学校を卒業し、彼ぴっぴのいる星河電器に就職するまでが大雑把に描かれました。振り返りましょう。
このドラマでは、まるでステキワードのような位置づけで「米田家の呪い」という言葉が出てきます。米田家の人たちは、困っている人を見るとつい手助けしてしまう。自分のことを後回しにして、その人のために苦難を引き受けてしまう。まったく、困った人たちよね、私たち米田家は。この呪いさえなければ、もっと自由に楽しく暮らしていけるのに、ついつい他人の災難を引き受けてしまうのよ、ハァ米田家は、まったく。そういう自虐的なニュアンスでもって、「呪い」という言葉が使われている。
確かに第1話では、結は帽子を風に飛ばされてしまった小学生のために海に飛び込むという危険行為を冒していました。着衣水泳の訓練を受けていない者が服を着たまま海に飛び込むことは命の危険を伴い、決して真似してはいけない行動です。そうした死と隣り合わせの行動をためらいなく行ってしまったのだから、確かに「呪い」と言えるのかもしれません。
でも呪いらしかったのはその1回だけなんだよな。特に神戸に来てからは、あんなふうに自己犠牲的に他人を助けたことなんて一度もなかったように記憶しています。
だから、卒業式を終えた結に同じ班のみんなが「米田さんは人助けばっかりしてないで自分のことを大切にしたほうがいい」とか言い出したり、結が「米田家の呪いだから」と返したりしたシーンの違和感はものすごかったです。もう物語にそぐわなくなっているのに、「米田家の呪い」という空虚なワードを繰り返さなければならないという、何らかの力がドラマ全体に作用している感じ。まさしく、呪いにかかっているのは米田家ではなく、このドラマそのものであるように感じられるのです。
何らかの力、を感じたのはこの場面だけではありません。モリモリの不倫疑惑についても、結局は専門学校に入学する前から付き合っている恋人で、バツイチのモリモリが会っていることに何ら問題はありませんでした。モリモリは卒業後、元調理師であるこの女の人とお弁当屋さんを開業するという。
そうであれば、サッチン(山本舞香)とカスミン(平祐奈)が盗み聞きしていた「私だって会いたいよ」云々のモリモリの電話との整合性がないし、店の外での「送ります」という他人行儀な態度も理解できない。
普通に暮らす人間としての自然な態度や言動よりも、これを「不倫である」とミスリードすることが優先されているということです。いちいち、場当たり的に、こういうミスリードが挟まることもまた『おむすび』では頻発しています。
すごく、脚本について毎回ちゃんと会議しているんだろうなと思うわけです。そこで誰かが「サッチンは若い男苦手だったらおもしろいだろ」「モリモリが不倫してたらドキドキするだろ」という意見が出され、物語の整合を取るプロである脚本家の意向よりも優先されている。
このレビューでは「脚本が悪い」とは言っていますが「脚本家が悪い」とは一度も言っていないはずです。なぜなら、脚本の出来が悪すぎるからです。テレビの全国放送で、ここまでひどい脚本にはなかなかお目にかかれません。何らかの力が作用しているとしか思えない。
今日だって、モリモリは「就職が決まりました」と言った直後に「お弁当屋さんを開く」と言っています。お弁当屋さんを開業する人は普通「就職が決まりました」とは言いません。こんなの、プロが書くセリフじゃないのよ。金が取れる仕事じゃないの。何が起こってるんだと日刊サイゾーは報じています。
編集者:いまトピ編集部