アイドル『破局会見』「愛し合って別れるんだから…生まれ変わってきたときは絶対に一緒に」
SNSが広く浸透し、近年は著名人が自身のホームページやX、インスタグラムで結婚や出産を報告したり、不祥事への謝罪や釈明に追われるケースが増えている。しかし、スマートフォンがなかった昭和&平成の時代は、記者会見で説明することがほとんどだった。
“昭和100年”の2025年、長い芸能の歴史の中から芸能記者たちが「伝説」と呼ぶ会見を総ざらい。コンプライアンスがそっちのけだった時代のぶっ飛びぶりをご覧いただこう。
前回は、結婚&引退で惜しまれながらも芸能界を去った「山口百恵と三浦友和の婚約会見」(1980年3月)をお伝えしたが、これと対照的に今も語り草となっているのが、松田聖子が臨んだ郷ひろみとの破局会見だ。
そもそも2人の熱愛が報じられたのは、聖子がデビューした翌年の1981年(昭和58年)5月。複数のスポーツ紙が「聖子・郷結婚へ!」などと書き立てたことからだった。
当時、アイドルとして上り調子だった聖子はこの報道による人気失墜も危ぶまれたが、それをさらなる肥しとしてトップアイドルにのし上がっていったのである。
「マスコミは2人が百恵&友和よろしく、いつゴールインするのか注目し続けた。もともと聖子は素人時代から郷の大ファンで、郷も知人に結婚の相談をしているとの話が絶えなかった。ただ、人気アイドル同士という肩書が障害となったのか、結婚秒読み報道はたびたび出るものの、3年たってもゴールインの報はなかった。そこで、1984年(昭和59年)大みそかに、ファンのじれったさを感じ取ったNHKが、紅白歌合戦のオープニングに手をつないで登場させたこともあったほど」(往年の芸能記者)
この放送で、熱愛ぶりを再確認すると共に念願のゴールインが時間の問題と期待した者も多かった。ところが、その期待はすぐに裏切られることとなる。
年が明けて翌1985年1月23日午前8時過ぎ――突如としてマスコミ各社に「松田聖子が緊急記者会見を開く」との知らせが舞い込んだ。
東京・砧のスタジオで午前10時から始まった会見には、多くの記者やカメラマン、リポーターが殺到したが、その席上、郷ひろみとの別離を告白した聖子の口から、あの芸能史に刻まれた言葉が飛び出したのである。
「好きで愛し合って別れるんだから…もし、今度生まれ変わってきたときは絶対に一緒になろうねって…」
嗚咽を漏らしながら話しつつも、目から涙がこぼれ落ちない聖子の様子は、その後、多くの芸人たちがものまねすることとなったが、この会見で4年近く続いた聖子&郷の熱愛報道は幕切れとなった。
もっとも、報道関係者らをあ然とさせたのは、後日談と言えるかもしれない。なぜなら、会見からひと月と間を置かず聖子と神田正輝の交際が発覚。同年4月に2人の婚約が発表されたからだ。
「聖子は郷との破局会見で『食事に行ったりとか、映画に行ったりとか、デートしたりとか全然できなかったんで…』と決別理由を吐露していたが、惚れた弱みでままならない状況が続き、ある意味、郷に嫌気がさしていた可能性が高い。そこにいくと神田正輝は、聖子にとってなんでも受け入れてくれる都合のいい男性だったのでしょう」(同)
その後、聖子は神田と離婚し、さらに2人の歯科医と次々結婚している。神田との熱愛報道は、当時「かわい子ぶりっこ」と揶揄されていた聖子のあざとさと魔性が垣間見えた瞬間でもあった、と週刊実話が報じている。
編集者:いまトピ編集部