2025/2/11 13:19

松井(50)、巨人監督就任の可能性

びっくり

ゴジラ松井の巨人監督就任に障害はなくなった――。読売新聞グループ本社代表主筆だった渡邉恒雄氏が亡くなり、松井の“わだかまり”も氷解しつつある。長嶋茂雄の「最後の願い」である松井巨人監督Xデーを元スポーツニッポン敏腕記者・吉見健明がレポートした!

ナベツネさんが逝った。読売ジャイアンツの親会社である読売新聞グループ本社の“独裁者”として君臨してきた渡邉恒雄氏が死去したのは昨年末のこと。享年98だった。

政財界に強大な影響力を持つ“平成・令和の大フィクサー”として知られる渡邉氏だが、野球ファンにとっては巨人至上主義をゴリ押しして球界の発展を妨げるラスボス、ヒール的な存在だった。

2004年に起きた球界再編問題で、日本プロ野球選手会側への「たかが選手」発言はあまりにも有名だ。

良くも悪くも球界を騒がせる球界の最高権力者だった渡邉氏に、筆者は一度だけ直撃取材をしたことがある。大学時代から筆者と付き合いがあり、当時は中日監督だった星野仙一が呆れ顔でこんな話をボヤいていたからだ。

「ウチのオーナーが読売(=渡邉氏)と結託して『1リーグ制にする』と言っているんだ。読売の言うことを聞くなんて何を考えているんだ!」

この極秘情報を確認するため、渡邉氏が住んでいた東京・五番町の小さなマンションに足を向けた。


マンション前には連日、多くのメディア記者たちが張り込んでいたが、その日の締め切り時間が過ぎると引き揚げて行くことを知っていたので、誰もいなくなったタイミングを見計らって自宅マンションのインターホンを押した。

「ナベツネさんが各プロ野球球団のオーナーに電話を入れて、1リーグ制の賛同を得ようとしているのは事実ですか?」

筆者の直球の質問に返ってきたのは、渡邉氏の短いながらも、ハッキリした答えだった。
「プロ野球界のためによしとした。諦めない――」

もともと「巨人が強くあることが球界の発展につながる」という渡邉氏の持論には賛否あるところだが、それでも渡邉氏なりの信念でプロ野球の将来像について熟慮していたのは事実。

そんな渡邉氏の死は一時代が終わったような寂しさを感じさせる半面、日本球界が古い体質からようやく抜け出せる節目となるはずだ。

当然ながら、最も大きな変化があるのは巨人といっても過言ではない。渡邉氏の影響力が消えたことで、巨人ファンの長年の“悲願”が実現する可能性が出てきたからだ。

そう、松井秀喜(50)の巨人監督就任である。不謹慎にも職業柄、筆者は渡邉氏の訃報を聞いて真っ先に「松井監督誕生」の見出しが頭に浮かんでしまった。

松井の現役時代の活躍については多くを語る必要はないだろう。長嶋茂雄(88)との師弟関係の下で、松井は巨人の4番打者として大活躍した。

2002年にはFAで大リーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍。2012年のタンパベイ・レイズを最後に現役引退した。その後は、ヤンキースとGM付特別アドバイザーの契約を交わし、同地に住み続けている。

現役引退後の松井に対しては、巨人が再三にわたって監督就任要請をしてきたことはよく知られている。

引退直後には当時の白石興二郎オーナーが「早く巨人に戻ってきてもらって、コーチを多少やって、いずれ大監督になってもらいたい」と発言し、渡邉氏も当時の原辰徳監督の後任として「原くんのあとは、松井くんが最適」とラブコールを送っている。

引退した翌2013年には、恩師であり巨人軍終身名誉監督の長嶋と共に国民栄誉賞を受賞している。松井自身は国民栄誉賞を固辞したい意向だったが、「ぜひ、ミスターと一緒に」と説得されて受賞を決めたように、長嶋との絆は現在も変わっていない。

2014年1月、渡邉氏、長嶋、白石オーナーとの面談の席で、松井は監督要請を受けたとされている。

しかし、松井が「現時点でユニホームを着られるだけのものを持ち合わせているとは思えない。勉強しなければいけないことはたくさんある」と固辞したため、話は流れた。

その後も長嶋の顔を立てる形で巨人の春季キャンプで臨時コーチを4回務めているが、監督として正式に巨人のユニホームに袖を通すまでには至っていない。

松井は言葉にこそしたことはないが、巨人からの再三の監督要請を頑なに拒み続けてきた最大の理由が渡邉氏の存在にあったと、筆者はみている。

2002年、自己最高の成績(50本塁打、107打点、3割3分4厘)でシーズンを終えた松井はFA権を行使してメジャーに移籍することになる。

渡邉氏の「松井を残留させろ!」という指令を受け、当時監督だった原や前年に現場を退き終身名誉監督となっていた長嶋も松井に残留を促したが、その決心は覆らなかった。

もっとも、長嶋は表向きには「ジャイアンツの終身名誉監督としては移籍にノー」としながらも、内心では松井の挑戦を「ノープロブレム」で後押し。強く引き留めることはせず、「自分の好きな道を歩め」と背中を押した。

松井がメジャーを意識したのは、巨人入団後に長嶋から「俺はお前をジョー・ディマジオに、日本のジョー・ディマジオにしたいんだ」と言われたことがきっかけだ。

長嶋も現役時代にドジャースからの誘いがありながら挑戦できなかった過去がある。自身の叶わなかった夢を弟子の松井に託したいという強い思いがあったはずだ。

ただ、巨人のオーナーだった渡邉氏は経営トップの立場上、看板選手をメジャー移籍させるわけにはいかない。あらゆる手練手管を弄し、松井を巨人に縛り付けようとした。

例えば、「5年50億円」という破格の大型契約を提示する一方、松井の父親・昌雄氏に手紙を書き、膝に不安を抱えていた松井のために東京ドームの人工芝を天然芝に張り替えるプランがあることを伝え、その情報をメディアに流して巨人残留へ世論を誘導した。

いかにも巨人、そして渡邉氏らしいやり口だった。

それでも、松井はメジャー行きを決断する。メンツを潰された渡邉氏は松井を「裏切り者」「恩知らず」と責め、「俺の目の黒いうちは日本に帰って来れると思うな!」と激怒したといわれている。

事実、松井はメジャー挑戦を表明した記者会見で、「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい」と悲壮な心境を口にしている。

誰からも好かれる松井の人柄はよく知られていたし、FA行使は選手の正当な権利でもある。松井が負い目を感じる必要は一切なく、巨人ファンの多くが松井を裏切り者と考えてはいなかったはずだ。

しかし、渡邉氏はそうではなかった。渡邉氏の頭にあったのは常に読売新聞の覇権であり、その最強の宣伝ツールである巨人を、永遠に強い人気球団にすることが最優先事項だった。

巨人を去った松井に対する関心も薄らいでいった。ヤンキースに移籍してから空席だった松井の背番号55は、2008年ドラフト1位の新人・大田泰示が引き継いだ。

この一件は、松井へ「もう巨人に戻ってくる居場所はない」と三くだり半を突きつけたのも同然のように感じられた。

松井がヤンキースで活躍していた時期、筆者は松井の父親・昌雄氏と東京・赤坂の料亭で話す機会があった。

その席で松井が日本へ帰るタイミングについて聞いたのだが、昌雄氏は「秀喜は頑固者で一度決めたことは曲げないんです。まあ、それにしても、これほどまでこだわるのには驚いています」と明かしている。

これを聞いた筆者は、前述したように渡邉氏が健在である限り、松井が巨人監督に就くことはないと確信したことを覚えている。

渡邉氏の訃報を受けた松井は「私のジャイアンツ在籍時にかけて頂いた激励のお言葉、メジャーリーグ移籍時に頂いたお心遣い、引退時に頂いたねぎらいのお言葉、すべてに感謝しております」とのコメントを寄せている。決して、他人の悪口を口にしない松井らしい対応だった。いずれにしても、これで監督就任への障害はなくなった。メジャー移籍から20年以上が経過し、渡邉氏へのわだかまりの記憶も遠のいたのだろう。

実際、このところの松井の言動は頑なだった以前と比べて、希望の持てるものに変わってきている。

例えば、年明けに放映されたイチローとのスペシャル対談で「10年後の自分」を聞かれ、「長嶋さんが喜ぶことをしたいなと。元気なうちに自分の元気な姿を見せたいなという気持ちはありますけどね」と答えている。

今の長嶋が松井に望むことと言えば、間違いなく巨人の監督就任だ。

長嶋は以前から事あるごとにこの願望を口にしており、松井が2018年に野球殿堂入りした際にも、「松井くんにはいつの日か指導者としてその手で次代の日本を背負える4番打者を育ててほしいと願っています。それが今の私にとって、大きな夢の一つです」とのコメントを残している。

また、松井は別の番組でも、「巨人からオファーがきたらどうしますか」と問われ、「自分の中でどこのユニホームを着るのが一番自然で、情熱が燃えてくるのかと考えたら、もちろん、巨人なんじゃないかと思いますよ」と語っている。

こうした発言を見る限り、松井の心境に変化が起きていることは間違いない。

もちろん、松井巨人監督がすぐに実現するのかと言えば、そう簡単ではない。

原から代わって現在、指揮を執る阿部慎之助は就任1年目からリーグ優勝を果たしており、3年の契約期間内で、さらに上の好成績を残すことになれば、当然、「続投」の声が出てくることになる。

ただ、それでも巨人は松井監督誕生を急ぐはずだ。気になるのは、都内の病院に入院している長嶋の健康問題だ。

2021年の東京五輪では松井、王貞治と共に聖火ランナーを務めていたが、松井に支えられながら歩くのがやっとだった姿は忘れられない。

筆者が日課としている長嶋の動静取材では、周辺に変わったところは見られないが、それでも今年2月20日に89歳の誕生日を迎える。長嶋の「最後の願い」が実現する日は着実に近づいている、と週刊実話WEBが報じている。

「ゴジラ松井の巨人監督就任に障害はなくなった―」渡邉恒雄氏の逝去で長嶋茂雄“最後の願い”が実現するXデー/サマリー|週刊実話WEB「ゴジラ松井の巨人監督就任に障害はなくなった―」渡邉恒雄氏の逝去で長嶋茂雄“最後の願い”が実現するXデー/サマリー|週刊実話WEB

編集者:いまトピ編集部