中村(44)移籍見送り、残留理由は「そっちが勝った」

サッカー日本代表の司令塔として活躍し、川崎フロンターレ一筋でチームを3度のJリーグ制覇へと導いた中村憲剛氏が、欧州に移籍しなかった理由を明らかにした。
鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演し、多くの質問に答える中で、移籍について聞かれた中村氏は、
「1回だけあります。1回というか、そのシーズン。2010年W杯が終わって、じゃあ次の2014年を目指す時に、自分がどこに身を置くかというのを、真剣に(考えた)。それは川崎フロンターレもそうだし、海外に行くことも。実際に打診が来たりとか、『どうなの?』という話を代理人の方から聞いて、自分でも考えられる材料があったことは事実だったので、(海外移籍の可能性は)本当にありました」
中村氏は当時、日本代表の中心選手。打診を受けたということは、欧州のチームも本気だったということになる。2010年には多くの日本人選手が欧州へと羽ばたき、海外でプレーした方がいい、との風潮がすでにあった。それでも中村氏は川崎フロンターレ残留を決意する。その理由は涙モノだ。
「フロンターレでタイトルを…その時、まだ取ったことがなかったというのが、自分の中では最終的にいちばん大きな決断でしたね。年齢というよりも、そっち。大学4年生で(フロンターレに)入りたいとなって、そこで入れてもらって、育ててもらって、日本代表にしてもらったクラブに、タイトルを置いていかない状態で(海外に)行くのはないな。最終的にはそっちが勝ったんですね」
なんと、チーム愛を優先したというのだ。現役の選手が海外に移籍することについては、どう思うのか。その答えも中村氏の男気を表すものだった。
「(日本の)チームでちゃんと力をつけて、日本で一番ぐらいになってからじゃないか、と思っています。三笘薫や田中碧、守田英正や旗手怜央も日本を代表する選手として(海外に)行っているので。それぐらいちゃんと足跡とモノをチームに残してけたら、ベストだと思う」
中村氏の考え方は素晴らしく、フロンターレのサポーターなら涙なしには聞けないが、もし海外に移籍していたら、どんな選手に成長していたのか。そう考えたくなるのもまた、事実である、とアサ芸プラスが報じている。
編集者:いまトピ編集部