引退を発表...「論争」勃発

中日ドラゴンズの中田翔が8月15日に現役引退を発表した。大阪桐蔭高から日本ハムに入団してプロ生活18年。巨人を経て中日でキャリアを終えた彼の歩みは、いま「元日本ハム」と呼ぶべきか、それとも「元巨人」なのか…ファンの間で議論を呼んでいる。
最も長く在籍し、打点王3度を含む輝かしい実績を残したのは日本ハム時代だ。通算309本塁打の多くを積み重ね、2017年WBCでは日本代表の主力打者として4番を務めた試合もあった。しかし21年夏には同僚への暴力行為の発覚により無償トレードとなり、巨人へ移籍する転機を迎える。
巨人では22年に24本塁打を放ち復活を印象づけたものの、翌年は92試合出場にとどまり成績は下降。23年オフにはオプトアウトを行使して自由契約となり、中日と推定2年6億円(金額は推定)の大型契約を締結した。しかし背番号6を背負った再出発は実を結ばず、24年は62試合4本塁打、今季も不振が続いた。
そんな中、引退発表の前日に本人がインスタグラムに投稿したのは、日本ハムのユニフォームをまとい札幌ドームに立つ後ろ姿。その姿は「最も輝いた時代」を象徴していたが、直前まで中日に在籍していたこともあり「なぜ日ハムなのか?」と賛否が巻き起こった。
これまでにも小笠原道大や広澤克実のように、移籍先の巨人での印象が強く「元巨人」と呼ばれた例は多い。しかし中田の場合、巨人・中日で決定的な実績を残したとは言いにくく、むしろ「元日本ハム」と呼ぶのが自然という声が強い。
かつて日ハムで指揮を執った栗山英樹氏も「彼の才能ならもっとすごい数字を残せたはず。悔しい思いは半分こちらに、半分は本人にある」とコメント。将来もし中田が日本ハムの監督として現場に戻る日が来れば、この肩書論争にも自然な答えが出るのかもしれない。
豪快なバッティングと強い個性で注目を集め続けた中田翔。引退後は解説者としての活動が期待される中、彼が「元日本ハム」と呼ばれるのか「元巨人」と呼ばれるのか…その呼び方一つに、波乱に満ちたキャリアの象徴が刻まれている
編集者:いまトピ編集部