2025/10/5 14:46

【極秘】3代目ミスタータイガース「宝塚トップスターとの交際」「学生時代からよくモテた」

びっくり

ぶっちぎりでリーグ優勝を果たした阪神タイガース。チーム一丸となってのVだが、どこか物足りないのは掛布雅之以降、「ミスタータイガース」と呼ばれる超スター選手がいないこと。3代目ミスタータイガース・田淵幸一の実像を、公私にわたって親交のある元スポニチ担当記者・吉見健明氏が明かす。

全盛期の田淵幸一は阪神甲子園球場で「ミスタータイガース」の呼び名にふさわしい活躍を見せていたが、その存在感をさらに際立たせたのが華やかな私生活だ。

田淵は学生時代から女性にもよくモテた。阪神入団後も頻繁に女性関係の噂が飛び交ったが、中でも宝塚歌劇団の星組トップスター・鳳蘭との交際は極秘中の極秘で今回、筆者は初めて明かす。

もともと田淵の姉の関係で出会っており、田淵が宝塚を観劇した際には筆者も同行している。当時の田淵は表向きには阪神の選手寮である虎風荘に住んでいることになっていたが、甲子園駅近くにもマンションを借りていた。

記者の目があるときは虎風荘に戻った後、玄関横にある公衆電話からこっそりと鳳に電話をかけていた。よく、「ダルマ(田淵は筆者をそう呼んでいた)、小銭を頼む」と、両替してくるよう頼まれたものだ。

結婚まで至らなかったのは、鳳が中国籍だったことを理由に父親と姉が猛烈に反対したためだ。田淵は実家の台所でビール瓶を何本も壁に投げつけて暴れたが、どうにもならなかった。

田淵の熱烈なファンだった不動産会社の娘・Kとの熱愛もトラブル続きだった。筆者は田淵の父親から自宅に呼ばれ「今、付き合っている彼女との交際を絶対にやめさせなさい」と頼まれた。

ところが、Kは急性腎炎で入院した田淵を献身的に支えるなど性格もよく、「別れろ」とは言えず板挟みに悩んだことを覚えている。

しかも、ほどなくしてKの妊娠が発覚。認知を巡ってトラブルになったが、結婚は認めてもらえず、それでもKは子供を産んだ。田淵はその後もしっかり面倒は見ており、頼まれて養育費を届けたこともある。

最初の結婚も相手は3人の子供がいる人妻でいわゆる略奪婚だった。マスコミは阪神のスターに忖度して過度に批判することはなかったが、田淵は熱愛記事が出るたび、「こういう記事が出ると、チームで余計浮くんだよ」と苦笑していた。

当時の田淵は、関西では一種のセレブだった。あるとき、田淵が猛スピードで運転する車に同乗していると、後ろから追ってきたパトカーに停車させられた。

普通なら一発で免停になるスピードが出ていたが、警官は運転しているのが田淵だと気づくと急に笑顔になり、「ああ、田淵さんでしたか。次からは気をつけてくださいよ」と笑って見逃してくれたのだ。

阪神のスター選手たちは、関西ではこうした“特別扱い”をごく当たり前のように享受していた。スターがスターとして社会から扱われていた時代の話である。

「阪神の選手にはタニマチがいて、大抵のことは彼らが握りつぶしてくれた。選手たちは何をやっても大丈夫だと思うようになってしまうんだ。まして田淵はスターの中のスターだったからね」

吉田義男監督時代のあるコーチはそう溜息をついていたが、こうした環境は選手としての成長にも悪影響があった。

「田淵はルーキーからレギュラーで、村山実、江夏豊、上田次朗といった優秀な投手とバッテリーを組んだけど、ほとんど投手が主導権を持っていた。だから『俺は打てばいいんだ』とリード面で研究することがなく、成長しなかったんだ」(同)

しかも、チーム内ではスターとなった田淵を批判することは憚られ、球団も客を呼べる田淵を優遇した。象徴的だったのが複数年契約もFA制度もなかった当時の契約更改で、田淵との交渉は今では考えられないほどザルだった。

ある年、球団が提示した年俸は田淵の想定よりかなり低いものだった。田淵は「ハンコを忘れた」と粘ったが、球団側が譲歩する気配はなく、田淵はこう宣言して席を立った。

「上げてくれないならこのまま部屋を出て記者団に怒りをぶちまけます」

球団事務所の外には50人を超える記者やカメラマンが詰めかけ、スターの一発更改を今か今かと待っていた。

慌てた球団側は帰ろうとする田淵を「ちょっと待て!」と引き止め200万円を上積みした。だが、田淵は納得せず再び立ち上がる。また呼び止めて200万、さらにもう一度で計600万円が上積みされた。

満面の笑みで記者団の前に現れた田淵は「一発更改です」と語り、翌日の新聞には「爽やかスターの即決更改」と報じられた。

後に某球団のスカウトは「話を聞いて腹を抱えて笑ったよ。今は100以上の項目で細かく査定しているし、どの球団でもこんなドンブリ勘定はやらないよ」と当時の阪神の体質を認めている。

スターとしての傲慢にも見える振る舞いが経営陣の不興を買ったことは否めない。1978年オフ、阪神は田淵を西武ライオンズに電撃トレードすると発表した。

表向きの理由は「成績の陰り」だったが、本当の理由は高騰する田淵の年俸を阪神本社が嫌ったためだ。また、鳳蘭との関係がまだ続いていることを疑った夫人が関東へのトレードを望んだことも影響していたかもしれない。

田淵は「俺は阪神で王(貞治)さんに挑み続けるつもりだった。まさか出されるとは夢にも思ってなかった」と悔しさを隠さなかった。

移籍した西武では見事に復活し、田淵をモデルにした漫画や映画『がんばれ!!タブチくん!!』も大ヒット。阪神ではついに届かなかった日本一を経験できたことは救いだったが、この放出劇は田淵の心に消えない傷を残した。

ファンの間では「このトレードで田淵はミスタータイガースの名前を剥奪された。生涯タイガースでなければミスターとは言えない」という論争があるようだが、筆者はそうは思わない。

グラウンドでの実績、ファンに愛された唯一無二の個性、球団に翻弄されたキャリアも含めて、まさに阪神らしい「ミスター」だったと言えるだろう、と週刊実話WEBが報じている。

宝塚トップスターとの交際は極秘中の極秘 3代目ミスタータイガース田淵幸一の私生活を初告白 |週刊実話WEB宝塚トップスターとの交際は極秘中の極秘 3代目ミスタータイガース田淵幸一の私生活を初告白 |週刊実話WEB

編集者:いまトピ編集部