大谷翔平(31)も被害に...

11月2日(日本時間)、ドジャースがワールドシリーズ連覇を成し遂げた。しかしシリーズ3勝を挙げ、MVPにも選ばれた山本由伸とは対照的に、大谷翔平(31)の笑顔は少し遠慮ぎみ。
シリーズ全7試合を振り返ってみると、ブルージェイズ投手陣は明らかに大谷との勝負を避けていた。
「ブルージェイズのジョン・シュナイダー監督は第6戦を終え、インタビューで大谷への四球の多さを質問されました。
大谷の実力を認め、『彼にもし打たせたくない明確な状況を迎えたら、そうする(申告敬遠)』と答えています。大谷への四球はベンチの指示です」(現地メディア)
大谷はワールドシリーズで計36打席に立ったが、うち四球は9。4打席に1回の割合で勝負をしてもらえなかった。
印象的だったのが延長18回までもつれた第3戦で、9回から15回までの4打席連続で申告敬遠を食らい、17回に回ってきた最終第9打席でも四球を選んでいる。
「ファンも大谷が打席に立つ度に『またか?』と怒っていました。5打席連続での申告敬遠はさすがにヤバイと思ったのか勝負しましたが、ブルージェイズバッテリーはストライクゾーンには投げず結局、四球で歩かせてしまいました」(同)
大谷は“イライラ”を抑えるのに必死だったはず。
シュナイダー監督が執拗に大谷との勝負を避けたのには理由があった。
同監督はメジャーでの経験こそないが、現役時代は捕手だった。2022年途中からチームを任されたが、当時はここまで用心深くはなかったという。
むしろ、チームを鼓舞しようと自ら身を乗り出して檄を飛ばすタイプだった。そんな激情家が慎重派に転身したきっかけが、なんと過去の大谷との勝負にあったのだ。
「’23年7月28日のエンゼルス戦でした。大谷に打った瞬間に分かるホームランを浴びました。
試合には勝ったんですが、選手たちに『敬遠すべきだった』と抗議され、打たれた味方投手も立ち直るまで少し時間が掛かりました」(同)
捕手出身で用心深いといえば、日本の野球ファンが真っ先に思い出すのは、1980年代の西武ライオンズかもしれない。
当時の森祇晶監督は、ワンサイドで勝っていたときでも「送りバント」のサインを出していた。
1994年生まれの大谷は、西武黄金期を知らない。
まともにバットを振らせてもらえなかったこの鬱憤は、来年3月のWBCで晴らしてもらいたいものだと週刊実話WEBは報じている。
編集者:いまトピ編集部
