豊かな海から、春はニシンで夏はカツオ、秋にはサバで冬にはマダラ……。5千年ほど前の縄文人たちの暮らしぶりを紹介する企画展が、青森市の三内丸山遺跡センターで13日から始まった。開館5周年の特別展「恵みの海と縄文 陸奥湾と三内丸山」だ。

 「海=陸奥湾」に注目した。展示では、三内丸山と湾沿岸にある同時期の遺跡から出土した動物の骨や漁具から、縄文人と海との関わりや、暮らしぶりを解き明かした。

 陸奥湾は、広さが約1660平方キロメートルで海岸線は約246キロメートル、平均水深は約38メートルだ。北側の平舘海峡で外海(津軽海峡)とつながっており、同海峡から入り込んだ海水が反時計回りに循環している。このため、入り口部分の海水温は高く、塩分も多くなっているが、湾東側では、低温低塩分になっている、という。

 三内丸山遺跡は、現在の海岸線からは4キロほど内陸側にある。縄文人たちの集落は1700年ぐらい続いたといわれ、時代によって、海岸線が集落近くまで迫っていた時期、湿地でつながっていた時期があったと考えられている。周辺の山からの水が流れ込んでいて、眼前に広がる海は栄養分が豊富に。幼稚魚の生育に適した場所だったとみられている。

 遺跡からは5万5千点を超える動物の骨などが出土していて、その95%近くは魚類だ。哺乳類は4%、鳥類が1%で貝類が0.5%と、三内丸山では魚が多く食べられていたようだ。

 一方で出土した人骨の分析から、木の実も多く摂取されていたこともわかっている。特別展を企画した同センターの斉藤慶吏・保存活用課副課長は「北海道の縄文遺跡に比べ、三内丸山では、木の実などから多くのでんぷん質をとっていた。虫歯がある人骨も出土していて、虫歯の人が多かったかもしれない」と話す。

 出土した魚の骨を分析した結果、縄文人たちの食卓は季節ごとに変わっていたこともわかった。

 骨の大きさや魚の習性もふまえて漁獲時期を推定したところ、春にはニシンにマダイ、夏にはブリの若魚・フクラギにソウダガツオ、マダイ、ヒラメ、秋にはマダイにサバ、イワシ、サケ、冬にはマダラやアイナメがよく食べられていた。斉藤副課長は「我々とほぼ同じものが食べられており、縄文時代と現代が結ばれていることを示している」と話す。

 同センターの岡田康博所長は「縄文時代の陸奥湾の豊かさがわかり、縄文人たちがそれをうまく利用していたこともわかる。改めて、地元・陸奥湾の豊かさに気づいて欲しい」と話していた。特別展は6月23日まで。観覧料は一般700円、高校生・大学生350円、中学生以下は無料。

 4月20、21日は「三内丸山縄文春祭り」が、5月11日に体験講座「釣り針を作って魚を釣ろう」、25日に講演「三内丸山にみる漁労と狩猟」、6月8日に同「噴火湾の漁労と狩猟」もある。問い合わせは同センター(017・766・8282)へ。

 7月からは、海を使った交流・交易をテーマにした特別展第2部「海がむすぶ縄文 津軽海峡と三内丸山」も予定されている。(鵜沼照都)