韓国・済州島(チェジュド)で大勢の島民が虐殺された「済州4・3事件」の犠牲者を悼む慰霊祭が21日、大阪市天王寺区の統国寺であった。島にルーツがある在日コリアンや島から来日した関係者らが集い、「死を強いられた死者」を悼んだ。

 済州島では1948年4月3日、米軍占領下にある南朝鮮の単独選挙反対を掲げた青年らが蜂起。数万人が官憲に容赦なく虐殺された。

 大阪は戦前・戦中に済州島との航路があり、出身者やその子孫が多く、事件をきっかけに島から逃れて来た人も少なくない。大阪での慰霊祭は事件から50年の1998年から開かれている。

 21日の慰霊祭で、在日本済州四・三犠牲者遺族会の呉光現(オグァンヒョン)会長(66)は「パレスチナのガザのように市民が無差別に命が奪われるようなことはあってはなりません。まさに済州四・三の教訓と和解の精神が実践されなければなりません」と追悼辞を述べた。

 事件で祖母と叔父2人が殺された大阪市生野区の高春子(コチュンジャ)さん(82)は「今でもあの時のことが目の前で見えます」と話し、何度も合掌した。

 島出身者の多い東京都荒川区でも20日、追悼の集いが開かれた。蜂起勢力に参加して追われる身となり、済州島から大阪へ逃れた詩人の金時鐘(キムシジョン)さん(95)=奈良県生駒市=が講演し、自身が目撃した惨殺を証言。「死を強いられた死者、無駄に殺された死者たちが果たして犠牲者といえるのか。私は思うんです。百歩譲っても『済州島4・3事件惨死非命者慰霊祭』にすべきではないでしょうか」と語った。(中野晃)