元日の地震で被災した能登半島の先端に位置する石川県珠洲市で、東日本大震災の復興から学ぼうと市民が動き始めている。仮設店舗で再起を目指す商業者が中心で、宮城県南三陸町の商店街が立ち上がった事例を見本にしたいという。

 発案したのは珠洲市の古民家レストラン典座(てんぞ)の女将(おかみ)坂本信子さん(55)。坂本さんは被災後、同業者らと一緒に避難所向けの弁当作りを担った。仮設店舗を設置したり、商店街を再生したりする市の計画が具体化する中、どう復興していくのがいいのかを自分たちとしても考えようと、周囲に声をかけ始めた。

 そんな中、知り合いの町民を通じてつながりを期待するのが、南三陸町の「南三陸さんさん商店街」。商店街側も「依頼されれば協力を惜しまない」と好意的な反応だ。

 震災時に受けた支援の恩返しをしたい。そんな思いを込めた町民からの寄付金を届けようと、佐藤仁町長も22日、珠洲市役所を訪れた。坂本さんら市民5人は町長と面会し「私らの復興計画に行政を巻き込むにはどうしたらいいのか」と疑問をぶつけた。町長は再起を目指す事業者らの意気込みに応えた経緯を紹介。坂本さんらは「まずは自分らが動き始めるのが重要」と受け止めた。

 市民の中にはすでに3月、町や気仙沼市を個人で視察した若手もいる。坂本さんは5月に町を訪れる予定で、南三陸さんさん商店街の関係者と交流を深めたいという。

 珠洲市の復興にあたり暮らしの再建や事業者の営業再開に今も立ちはだかるのが、上下水道の復旧の遅れだ。ある菓子店経営者は「被災から4カ月で、ようやく営業が再開できそうな状態」とこぼす。泉谷満寿裕(ますひろ)市長は佐藤町長に対し「断水解消はまだ4割。5月末までに復旧を目指す」と語った。

 課題は山積みだ。だが、坂本さんらの行動をきっかけに「珠洲の復興を、南三陸のみんなで後押し」と銘打った被災地同士を結ぶプロジェクトが始動する見通しだ。

 「東北の被災地から学びたい」と坂本さん。「被災と復興を経験した東北の人たちのアドバイスを受け、みんなで再起を図りたい」と意気込んでいる。

     ◇

 一方、珠洲市に隣接する石川県輪島市には発災後、宮城県気仙沼市から個人のボランティアらが入った。こうした支援も5月の連休中に本格化する見込みだ。

 輪島市の中心部から離れた町野町では、発生直後に広島県から支援に入った佐渡忠和さん(72)が孤軍奮闘状態だ。

 この地域では、海沿いを走る国道が崖崩れで寸断され、約15キロ先の市中心部との行き来は山側を車で約1時間かけて回り道するしかない。瓦屋根に押しつぶされるように壊れた建物はほとんど手つかずで、近くの漁港は地盤隆起で底が干上がっている。

 最も海側の曽々木海岸付近では、被災前の57世帯の半分が金沢市などに避難し、残りは一部損壊した住宅などに戻った。自治会長の刀祢聡さん(68)の家も傾いたまま。住宅は一部損壊だと公費解体の対象外。自費で修理しなければならないが、大工も不足しているという。

 水道や電気が使えない住宅で生活する住民13人のため、市が提供する夕食弁当を渡すのも自治会長の役目の一つ。地区を離れた住民のほとんどが「戻りたい」と希望しているが、刀祢さんは「特に高齢世帯は、難しいかもしれない」と話す。

 それでも、佐渡さんのネットワークで大型連休中、学生ら約40人が支援に入る予定だ。5月1日で発生から4カ月。ようやく被災した建物の片付けの進展へ期待が高まる。(山浦正敬)