シュートを見抜いたのは野村克也だけ



『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』表紙

 1934年12月26日、のちの巨人軍、「大日本東京野球倶楽部」が創立。2024年はプロ野球90年の節目の年となる。

 今回、小社ではプロ野球90年を記念し、歴代のトッププレーヤー1500人超をポジション別に分けた『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』を企画。3月27日に第1号を発売した(一部地域を除く)。

 1号目のテーマは先発右投手パ・リーグ編。基本的にはポジション別にセ、パ1冊ずつだが、数の多い投手のみ、先発右投手、先発左投手、リリーフなど、さらに細分化している。

 全30冊で構成し、愛読者プレゼントとしてオリジナル収納ボックスも準備。詳しい内容については、ご購入いただき、確認していただければ幸いです。

 今回はその稲尾和久の記事(データ)からチョイ出し。ご存じ、西鉄黄金時代の大エースだ。1年目から21勝を挙げ、決め球はスライダーだったが、実は三段階に進化した球でもある。

 入団当初はまったくのナチュラル(第1段階)。意識してではなく、右打者のインコースに投げるとシュート、アウトコースに投げると勝手にスライダーになった。変化は少なかったが、スピードがあり、打者の手元で変化したのでバットの芯を面白いように外し、凡打の山を築いた。

 2年目以降、徐々に意識して投げられるようになり(第2段階)、58年には変化が大きな空振りを取るスライダーを身につけた(第3段階)。制球力も抜群で、変化の軌道を計算しながら、捕手のミットを目がけるのではなく、ベースの四隅をかするように投げ分けた。

 スライダーの名手と言われた稲尾の隠し武器がシュートだった。

 これで右打者の踏み込みを抑え、外角のスライダーをさらなる魔球とした。唯一見抜いていたのが、南海・野村克也だったという。

 なお、1号目のみ、お手軽な特別価格890円で。もちろん、「やきゅう」からです。