がんが完全寛解したあるとき届いた便箋に、「なぜ、あなたが生きているんですか?」の言葉がしたためられていました。それでも、元フジテレビの笠井信輔さん(60)は情報発信をやめません。大病を患った自分だからこそ「伝えなければいけない役目がある」と、いいます。(全5回中の2回)

情報発信は慎重に「受け取り方は人それぞれで」

── 悪性リンパ腫と診断されてから、笠井さんはインスタで積極的に発信されたそうですね。

笠井さん:がんは進行度によって、ステージ0からステージ4までの5段階に分類されています。私が悪性リンパ腫とわかったときはすでに「ステージ4」と、一番進行している段階でした。しかも、脳に転移しやすい遺伝子異常もあり、通常の治療法は効かないといわれていました。

闘病中は少しでも多くの人の参考になればと、積極的にインスタで情報発信を行っていたんです。情報を伝える際は、毎回、妻に文言をチェックしてもらいました。ちょっとした表現や語尾のニュアンスの違いで、人の受け取り方はまったく変わってくるからです。治療や病気を乗り越えた人と、そうでなかった人との溝は、とても深いんです。

実際、私も全部で6回行う抗がん剤治療の3回目を行うとき、「笠井さん、3回目の治療なんですね。私は6回目が終わるところです。頑張ってください」と応援してもらったことがあります。

そのとき私は応援してもらったことに感謝する一方で、「俺はまだ治療が半分終わったところだよ。もう6回目が終わるなんてうらやましい」とも思ってしまったんです。やっぱり抗がん剤治療はしんどいものなので…。

自分自身でもこうした経験があるから、病気に関して発信することは難しいと身に染みて実感しています。文章で表現する際は、とくに気をつけています。

退院後「なぜ生きているんですか?」と便箋で…

── 4か月半入院し、完全寛解して8か月後に仕事に復帰してからも、インスタでの情報発信は続けたそうですね。

笠井さん:退院後も情報発信を続けたのは、同じ病気にかかっている人たちに、少しでも希望を感じてもらえたらいい、という思いからでした。自分の病気がわかったとき、調べれば調べるほど「自分はもうダメなんだ」という絶望的な情報しか得られなかったんです。

メディアは亡くなった方の情報は多く発信しますが、乗り越えた方については、あまり触れないので…。でも、実際は私のように完全寛解した人間もいる、同じ病気にかかった人たちに、あきらめないでほしい一心でした。

ところが、それで何が起きたかというと、私へのディスりです。「笠井はもう治ったんだろう、なんでいまでも情報発信しているんだ」と。けっこう叩かれました。ネットニュースに取り上げられる際、発言の一部が切り取られ、本質とは異なるタイトルで伝えられ、真意が伝わらないまま炎上することが何回もありました。

抗がん剤の副作用で苦しんだ

こんなお手紙も頂きました。「私の母は、あなたと同じ悪性リンパ腫でした。私の母は亡くなりました。なぜ、あなたは生きているんですか?あなたの顔を見ているとつらくなるので、私はテレビを消します。あんまり“治った”と言わないでください」と。

きれいな縦書きの便せんに丁寧に書かれていたのですが、これには本当に衝撃を受けました。

── それは本当につらいできごとですね。

笠井さん:私はいまでも経過観察で、3か月に1回は病院に行き、再発していないか確認しながらの生活が続いています。完全寛解とは「完治ではない」ので、いつ再発してもおかしくありません。でも、やっぱり皆さんは「笠井は治った」と、とらえるわけです。

何度か炎上したとき、息子から「ネットメディアの怖さをわかっていない。親父のSNSは数十万人以上のフォロワーがいるんだから、影響力も大きい。もう、SNSで発信するのはやめたほうがいい」と、言われたこともあります。

でも、私は完全寛解したこと、病気の人に希望のあることを伝え続けることが使命だと思っています。なぜなら、闘病生活には「気持ちの持ちよう」が大事だからです。講演会でも、ときどき「同じ時期に悪性リンパ腫になりました。笠井さんのインスタやブログに救われました」と、泣きながらお礼を言ってくださる方もいらっしゃいます。

がんに関する講演にも積極的に取り組む

こういうことを経験すると、自分の発信はムダではなかったと思います。「母のことを思い出すのでやめてほしい」と言われた方には本当に申し訳ないのですが、誰かが少しでも前向きになれるのであれば、発信は続けるつもりです。

炎上は怖いけど「当事者として伝える責務がある」

── 情報発信を続けることに、とても強い思いをお持ちなことが伝わりました。気持ちを伝えるためなら、炎上しても怖くないのでしょうか?

笠井さん:そこまでの強い精神力は持ってないです。炎上は大変ですし、非常に怖いです。とはいえ、炎上したからといって、自分の考え方を180度転換させることはしないつもりです。「これは自分が間違っていた、言いすぎだった。自分の発言によって傷ついた人がいる」場合は、もちろん修正していきます。

どうしてここまで発信することにこだわるかというと、30年間、リポーターを務めてきた経験が大きいです。長年報道に関わってきて感じたのが、報道というのはすべてが「伝聞」なんです。災害や事件などの経験者の方たちにお話を聞き「〜ということでした」、「〜だそうです」と伝えるのが一般的です。

でも、年間で約100万人、がんになる状況で自分は当事者になりました。報道に関わってきた者が、「直接、自分が思ったこと、経験したこと」を語る立場になったのです。これは報道者として強い責務を抱きながら、行うべきことだと信じています。

PROFILE 笠井信輔さん

かさいしんすけ。1987年 早稲田大学を卒業後、フジテレビのアナウンサーに。朝の情報番組「とくダネ!」を20年間担当後、2019年9月末日に33年勤めたフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとなるが2カ月後に血液のがんである悪性リンパ種と判明。4か月半の入院、治療の結果「完全寛解」となる。現在、テレビ、ラジオ、講演、がん知識の普及活動など幅広く活動している。

取材・文/齋田多恵 写真提供/笠井 信輔