30年近く勤めたハドソンを退職後、高橋名人はこれまでとは違った形でゲーム業界に一役買っています。ゲーム配信やeスポーツなど、ゲームの楽しみが増える中、いま、ゲームへの恩返しのときを過ごしているようです。(全4回中の3回)

「逮捕された」「死んだ」都市伝説が飛び交った ブーム全盛期の高橋名人

── ファミコンゲームの「16連射」で、子どもたちに圧倒的な人気を博した高橋名人。だからこそ、その発言や行動が子どもたちの注目を集め、思わぬ都市伝説も飛び出しました。

高橋名人:イベントで「今度、警察署で一日警察署長をします」と言ったら、「高橋名人が警察署に行く、逮捕された!」と、噂になってしまいました。

子どもたちからハドソンに業務にならないほど電話が殺到して、社長からしかられました。私はちゃんと「一日署長」だと言ったのですが(笑)。99.9%が子どもたちからの電話でした。

── それはすごいインパクトですね。

高橋名人:私は宣伝部員だったので、テレビに出ない時期もありました。ゲームのマニュアルを作るなど、通常業務を行っていただけなのですが、テレビに出ないことが憶測を呼び、「最近、テレビで高橋名人を見ない。死んだのでは?」と死亡説が流れました。

── うわーすいません、私も当時、死亡説を一瞬信じてしまった子どものひとりです…。

高橋名人:死亡説はテレビに出れば生きているとわかりますが、逮捕説はいくら反論してもなかなか消えなくて困りました。いまだから笑って話せますけど、逮捕説は社会人として致命的ですし、当時はまいりましたね。

ハドソン退職後はeスポーツの理事などを経験

── 名人は2011年にハドソンを退社しますが、これはファミコン以外にさまざまなゲームが登場したのがきっかけでしょうか?

高橋名人:ファミコンが下火になったのは背景としてあります。その関係でハドソンの経営も悪化し、コナミに吸収されました。

実際に私が退社したのは吸収される前、理由は社風の変化を気にしたからです。ハドソンってわりと自由で鷹揚な雰囲気で、そのなかで30年間くらいやってきた自分にとって、社風が変わると難しいだろう、と感じたんです。

── 退職されてからはどんなことを?

高橋名人:ゲーム業界を盛り上げる仕事や役割は進んで引き受けています。「高橋名人」が経営メンバーに入ると、宣伝効果が期待できる場合もありますので。

ゲームの企画・開発・運営まで行う会社をたちあげて、「代表取締役名人」になったこともあります。立ち上げのときは宣伝・広報がとくに必要なので、2年間くらい頑張って、あとは任せました。

いまはアニメやゲームを扱う会社でゲームプレゼンターとして活動し、ゲームを作ったりもしています。

現在の高橋名人もゲーム愛をもってさまざまな活動をしている

── eスポーツを盛り上げる活動もされていましたね。

高橋名人:一般社団法人e-sports促進機構の代表理事もやりました。以前は、eスポーツの団体が3つほど存在し、それでは世界に日本代表を送るときに困るのでひとつにまとまろうという動きがありました。その新しい組織ができるときに私が入り、落ち着いたので退任しました。

── ずっとゲーム業界をまとめたり盛り上げたり活動をしながら、現在はゲーム配信やイベントに出演されています。

高橋名人:以前から関わっている企業で嘱託として働く一方、タレントのような活動もしています。声をかけてくれるVTuberさんと「桃太郎電鉄」などのゲーム配信をしたりしています。

親子2代でサインや写真を求められる幸福

── 現在もゲームのイベントで各地に行っていますが、当時のファンと再会することもありますか?

高橋名人:ありますね、まわりまわって当時、子どもだったファンが大人になってきてくれたり。

20〜30年前の子どもたちなので顔はもうわかりませんが、当時の思い出の品物を持ってきて、「30数年越しでサインもらえた!」と喜ぶ顔を見ると、やっぱり嬉しくなりますよ。当時の本の表紙にサインすると、顔が子どものようにみんな輝きます。

なかには親子2代で来てくれる人たちもいます。彼らと一緒に記念写真を撮ってもらう時間は必ずもうけています。

1986年7月に行われた札幌イベントの様子

── 当時も全国キャラバンで各地をまわり、いまも名人が来てくれるなんてみなさん嬉しいでしょうね。

高橋名人:自分が子どもだったときを思い出すと、有名人と写真を撮りたかったし、サインもほしかったです。

こうして逆の立場になり考えてみると、みんなも子どものときの私と同じように感じているだろうし、もし希望があればかなえてあげたいと思っています。欲しいという人には、どんなに大量であっても全員にサインを書いてあげたい。ファンあっての自分ですから。

PROFILE 高橋名人

1982年にハドソン入社。ゲームの営業から開発まで様々な業務に携わるなか、1985年に「第1回全国ファミコンキャラバン大会」のイベントにて「名人」の称号を確立。以降、当時のファミコンブームを追い風に「ファミコン名人」としてTV・ラジオ・映画に出演。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射(連打)」で有名。

取材・文/岡本聡子 写真提供/高橋名人