◇コラム「田所龍一の岡田監督『アレやコレ』」

 阪神が中日に同一カード3連勝。6連勝でついに「首位」に立った。「まだまだ7カード目やから…」とはいえ、勝利インタビューに答える岡田監督もまんざらではない表情だ。

 16日から始まった巨人、中日6連戦は奇しくも39年前の1985年、甲子園の「バックスクリーン3連発」(17日の巨人戦)が飛び出したときと同じカード。何かが起こるのでは―とスタンドのファンも期待した。「3連発」は出なかったが「3連打」で巨人を下し2勝1分け。そして20日の中日戦で阪神は14長短打を放ち15−2と大勝した。スコアボードの2回裏には「7」の数字が輝いた。実は39年前にも巨人3連戦で阪神は1イニング「7」得点を挙げていた。「バックスクリーン3連発」が飛び出す前日の巨人1回戦である。

◇4月16日 甲子園球場

巨人 100 100 000=2

阪神 000 710 02×=10

勝ち投手・伊藤1勝 負け投手・加藤1敗

本塁打・中畑2号(伊藤)掛布1号(加藤)木戸1号(加藤)2号(金城)真弓3号(斎藤)

 2点を追う阪神は4回2死から掛布が右翼へ1号ホームラン。続く岡田が四球で歩いた。1ストライク後、岡田が走った。だが、佐野の打球は二塁ベース後方へのフライ。スタンドから大きなため息。岡田はそのまま二塁を回って三塁へ。その時だ、巨人の遊撃手・河埜が打球をグラブの土手に当ててポロリ。三塁を回ったところでスピードを落としていた岡田が慌てて同点のホームを駆け抜けた。

 この後の攻撃が凄まじい。続く7番・平田が中前打を放つと8番・木戸が右翼へ1号3ラン。さらに投手の伊藤が四球を選ぶと、今度は1番・真弓が代わった斎藤から3号2ラン。スコアボートに燦然と「7」の数字が輝いたのである。

 試合後、岡田がこう言った。「悔しいです。お客さんも巨人の選手もウチの選手もみんがあの“落球”を見てるのに、ボクだけ走ってたから見てないんです。えっ、いい走塁だった? 盗塁のサインです」。岡田はまんざらでもない表情になった。

 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。