今年3月、スタジオジブリが企画監修した「ジブリパーク」(愛知県長久手市)が全面開園した(予約制)。制作指揮は「ゲド戦記」「コクリコ坂から」、2021年に劇場公開された「アーヤと魔女」を監督した宮崎吾朗氏(57)。このほど、ご本人がジブリパークと父の駿氏(83)について語った。

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「大きな公園の中に造りましたので、有料のエリアに入らなくても、何となく足を運んだり、散歩がてらにちょっとのぞいたりするだけで楽しくなる。そんなふうに、いろんな仕掛けを用意しました。園内の建物などには入れませんが、敷地をフラっと散策できるチケットも用意しています」

「映画でやっていくのか、新事業に乗り出すのか…」

 スタジオジブリがテーマパーク事業に乗り出した背景には、経営幹部としての危機感があったと振り返る。

「最近は作品を成功させるのは難しく、映画界はある種の岐路というか、難しい時代を迎えていると感じます。僕自身も次の作品を作るかどうか、まったく分からない。スマホの普及で映画を見る人が減っているのは事実でしょうし」

 世界中で評価されているジブリ作品は例外では?

「宮崎駿の作品だから、いまも見てもらえているとしても、ほかの若い人が作った作品の成功は保証されていません。だから、今後も映画でやっていくのか、あるいはジブリパークみたいな新事業に乗り出すのかという議論がありました。(代表取締役プロデューサーの)鈴木敏夫(75)とはよく“どうしようね、吾朗君”“どうしたらいいんでしょうね”なんて話をしてますよ」

 かくして17年、開園に向けたプロジェクトが正式にスタートした。

「テーマパークを造るのでは手に余りますが、“パーク”なら、ジブリにはふさわしいコンテンツがあります。愛知県の大村(秀章)知事も“中身はお任せします”と言ってくれまして」

「あの人たちに引退する気なんてない」

 吾朗氏の前職は、パークの造営に打ってつけの建設コンサルタント兼環境デザイナーだった。

「建物に入ること自体がアトラクションという考え方のもと、仕上がり感や手触りにはこだわりました。同じ木材といっても、針葉樹と広葉樹ではまったく異なります。建物自体もそれぞれ規模や形が違うので、同じフロアを造るビル建設とは完全に別物でしたよ。幸いにも、最近の資材高騰の影響は避けられました」

 奇しくも全面開園の数日前に、駿氏が原作・脚本・監督を、鈴木氏がプロデューサーを務めた「君たちはどう生きるか」が、米アカデミー賞の長編アニメーション賞を手にした。

「ああ、また賞を取ったなあと。アカデミー賞を2度も頂くなんて、考えてみればすごいことなんですが、“どう生きるか”なんて言っちゃって、このお爺ちゃんたちは、これからどう生きるつもりなんですかねえ」

 駿氏や鈴木氏は、過去に何度か引退を示唆している。

「あの人たちに引退する気なんてないですよ。“後は若い人に”とも言いますが、そんな気もまったくない。親父は80歳を過ぎたいまも、まだ映画を作りそうで、鈴木も“しょうがないなあ”って付き合ってます。以前、二人に“絶対に僕が先に引退する”と言いましたが、どうやらホントにそうなりそう」

確執は「あったといえばあったのかもしれない」

 駿氏とは同じ職場だが、

「普段から一緒に仕事はしないですね。食事も一緒には取りません。面倒くさくって……ハハハハ。嫌いじゃないけど、とくに話題があるわけでもない。避けているわけでもなく、日々、顔を見に行ったりはしてますよ。近くの部屋で働いていても、1週間くらい顔を合わせないのは普通のこと」

 駿氏はジブリパークの造営に関して、ほとんど口を出さなかったという。

「向こうは向こうで面倒くさくなっているのかもしれません。年を取ると、自分のことが中心になると思うんです。元気ですけど」

 以前はメディアが父子の確執を報じた時期もあった。

「若い頃は“なんだ、コノヤロウ”っていう気もなくはなかった。でも、そういう人の息子だって言われちゃうのは、仕方のないことですよね」

 改めてその点を尋ねると、

「どうですかねえ、あったといえばあったのかもしれないし……。まあ、親父も僕も、だんだん枯れてきたってことかもしれません。僕ももう50代の半ばを過ぎていますし、老人と中年だと、あまりカッコつかないですよ」

 独特の距離感を維持しつつ、父子の日々は続く――。

「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載