映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として広く知られ、アメリカでは反骨を貫くジャーナリストとして、またコラムニスト、小説家として一世を風靡したピート・ハミルさん。かつてはプレイボーイとまで呼ばれた人だった。

 そんなピートさんが結婚したのは、「ニューズウィーク日本版」創刊時にニューヨーク支局長を務めた青木冨貴子さんだ。穏やかな結婚生活を送るふたりだったが、2014年に体調不良を訴えたピートさんは緊急入院、急性腎障害と診断される。数日後、一時帰宅していた青木さんが受けたのは「ピートが一時、心肺停止になった」という、病院からの連絡だった――。

※本記事は、青木冨貴子氏による最新作『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部を抜粋・再編集し、第10回にわたってお届けします。

昏睡したまま、身じろぎもしないピート

 緊急入院から9日経った2014年3月19日、水曜日のことである。朝6時、ピートの病室で寝ていたわたしはレントゲン撮影に来たスタッフに起こされた。北東に向いた集中治療室の窓からはイーストリバーが見渡せ、川向こうから朝日が少しずつ上っていく。

 早朝は眠りから覚める時、ピートを起こすのにいちばんの時間だ。レントゲンが終わるとわたしはさっそく耳元で声をかけ始めた。

「ピート、目を開けて!」

「ハニー、ウエイクアップ!」
 
 聞こえているだろうか。また、耳元で囁く。次第に大きな声を出してみても、本人は身じろぎしない。
 
「ピート、もう朝よ。起きる時間よ」

「お日様が向こう岸から顔を出して、素晴らしい天気の日が始まったわ」
 
 8時半、シルバースタイン医師が現れた。
 
「MRIの結果を聞きましたか?」
 
 そういえば昨日、ドイル医師が何かいっていたような気がする。確か、ストローク(脳卒中)が見つかったとかいう話だった。あまり悪いことばかり起こるので、聞き流していたようだ。

「すべて危険に晒されている」状態

「ドクター・ドイルがどう伝えたかわかりませんが、昨日、無数の小さなストロークが見つかったので、ピートは分別のつく状態で目を覚ますことはないのです」
 
 シルバースタイン医師はこういってきた。

 わたしは聞き返した。
 
「ストロークのせいですか?」

「たくさんのストロークのせいです。でも、すべてが問題なのです」

「ああ、本当ですか?」
 
 わたしはあやふやな返事をした。
 
「ストロークが複雑骨折から来たのか、あるいは腎臓医がいうようにコレステロールが腎臓に来て、頭脳にダメージを与えたということも考えられるのですが、いったい何が起こったのかわからないのです……」

「そうですか」

「でもはっきりしていることは、現時点で彼の腎臓も、頭脳も、歩行能力も、すべて危険に晒されているのです」
 
 シルバースタイン医師がいいたかったのは、次の問いかけだった。
 
「あなたはどうしようと思いますか? もちろんご家族と相談しているのでしょうが」

「ええ……」

「私は彼がこれ以上良くなるとは思わないのです。あなたが彼を自宅へ連れて帰りたいと思っているのは知っていますが、自宅でのサポートは大変になります。そのための手術も必要になり、それをやってまで自宅へ帰す価値はないと思うのです。それより、家族に囲まれながら、心地良い状態で最期を迎えるのがいちばんなのです。私が薦めるのは、明日か次の日、人工透析を止め、彼を心地良い状態で平和に逝かせるということです。この病院で」

「つまり、人工透析を止めると彼は逝ってしまうのですね」

「せめて月曜日まで待ってください」

 医師の答えは明確だった。
 
「人工透析を止めるとおそらく、1週間くらいでしょう。酸素チューブを外すと、とても心地よい状態で数時間……3時間くらいで逝きます。お気の毒ですが」
 
 その上で、駄目を押すようにいった。
 
「彼は明らかに昏睡状態にあり、哀しいことに覚醒することはなく、ひどい痛みに襲われているのです。あなたがどうするか決めて私に教えてください。今現在、彼は苦しんでいるのです。牧師を呼びましょうか?」

「結構です。必要ありません」
 
 はっきり断った。少しでも早く苦しみから解放して平穏にあの世へ送るのが良いと医師は何度も薦めてくるが、わたしは簡単にそんな手に乗るつもりはなかった。とにかく、時間を稼ぐ必要がある。
 
「せめて月曜日まで待ってください」
 
 今日は水曜日。木、金、土と日曜を入れて、あと4日間はある。
 
 医師はわかりましたといって病室を出ていった。生還して分別のつく状態にはならないというのは具体的にどういうことを意味するのだろうか。植物状態になるかもしれないということなのか。そんな状態になるのだったら、平穏に見送ったほうが彼のためにはかえって良いのだろうか。
 
 急性腎障害で入院した後、心拍停止、腰の複雑骨折が見つかり、さらに無数のストロークが見つかった。すべて63歳の時に発症した糖尿病から始まったことは間違いなかった。まるで教科書に書かれたように、糖尿病患者の合併症が立て続けに起こってしまったのだ。

生と死の境界線で

 わたしは新鮮な空気が吸いたくなった。表を歩きまわり、1階でブラックコーヒーを買って病室へ戻ると、ベッドの隣に並んだモニターを見ていたインターンが呟いた。
 
「あら、脳波が良くなっているわ」
 
 ピートに声をかけるとほんの少し反応するような気もしたが、まだ眠っている。わたしはピートの仕事関係者や友人へメールを送った。カリフォルニアに住む弟の四男、ジョンが駆けつけるという。この晩も病室へ泊まり込んだ。
 
 翌20日(木曜日)早朝に目覚めると見事な晴天。イーストリバーから上る朝日で病室が明るくなった頃、再び、ピートに声をかけた。
 
「ハニー、ウエイクアップ!」
 
 やっと少し反応したような気がした。
 
「ハニー、ウエイクアップ!」
 
 少し大きな声で繰り返した。すると、ほんの少し目を細く開けて、握った手を心持ち握り返したではないか。
 
 6時半にレントゲン技師、7時には神経外科の医師、7時半にはシルバースタインの医師団が回診にきた。チームのなかの女性医師が声をかけると、ピートはいわれたように2本の指を上げ、つま先を少し動かした。
 
「とても良い反応ですね」
 
 若い女医さんも喜んでくれた。これだけ反応しているのに、酸素を止められたら、数時間で死に至るのだろう。
 
 9時25分から人工透析開始。疲れ果てたので夕方いったんアパートへ戻ると、すぐに電話が鳴った。今度はバクテリアのMRSAに感染したという連絡である。病院へ取って返したところ、病室に入る時には必ず、青いプラスチックの衣類を羽織る、手袋もはめなくてはならない、と命じられた。退出時にはそれを脱いで所定のカゴに捨てる。ほんの数分出る時も、同様であるという。
 
 この晩、わたしは青いプラスチックを着たまま、崩れ込むように病室の簡易ベッドに横になった。今や、病院がわたしの日常になった。アパートでのふたりの生活は幕を閉じた。ピートが生き残っても、そうでなくても。急転した現実が不意に迫ってきて、思わず身震いした。

奇跡の覚醒

 翌21日(金曜日)よく晴れた早朝、いつものように声をかける。
 
「ハニー、ウエイクアップ!」
 
 すると、ピートは呼びかけにゆっくり応え、重そうに瞼を細く開けたではないか。そして、しっかりわたしの目を見つめた。覚醒した。「月曜日まで待って」と頼んだ日から2日後、ついに覚醒させたのだ。
 
 作業療法セラピストが来て喜んでくれた。
 
「100パーセント、目覚めましたね」
  
 神経外科の医師がそういってくれた。この時は知らなかったが、ピート覚醒のニュースは集中治療室の階にいた全員に電撃のように響き渡ったという。
  
 翌22日(土曜日)には看護師がピートの体を洗ってくれて、ベッドの上の体の位置を変えてくれた。
 
 翌23日(日曜日)には喉のチューブが取れた。ちょうど病室にきていたラテン系のフィジカル・セラピストを見たピートは初めて声を出した。
 
「アグア」
 
 スペイン語の「水」が第一声だった。それからしばらくスペイン語だけを口にするようになった。ピートはGI奨学金でメキシコへ行ってからスペイン語を話すようになった。10日間に及んだ昏睡状態から目覚めると、メキシコで過ごした若き日の記憶が蘇ったのだろう。
 
「エスタ・リスト」わたしも即座に大好きなスペイン語を口にして、そこから知っている限りのカタコトで会話しようとした。一緒にメキシコへ行った親友のティム・リーが面会に来てくれたときにはスペイン語で話してくれと頼んだ。

「ぼくには二つのものが必要だ」

 次の週に入ると、集中治療室のチームが入れ替わり、ドクター・セイガンのチームが受け持つことになった。ピートはやっと英語も口にするようになったが、いっていることがあまり意味をなさないこともある。
 
 25日(火曜日)になると、突然、わたしに向かって真面目な顔で、
 
「ぼくには二つのものが必要だ。君とベッドだ」
 
 といったので吹き出してしまった。かなり正常に戻ってきた証拠には違いない。これからはチューブを1本ずつ減らしていくという。
 
 それから1週間もすると、ピートはしっかり会話するようになった。きちんと英語でセンテンスを最後まで話す。
 
 入院した3月10日から何が起こったかわたしはピートに話し始めた。彼は心臓が痛かったことは覚えていた。「ハニー、ウエイクアップ!」とわたしがかけた声も覚えているというではないか。あの時、目を瞑っていたが、やはりあの顔の奥で息をしていたのだ。
 
「この先は、長期治療のための病院を探さなくてはなりません」
 
 ドクター・セイガンはそういってきた。ピートの場合、フィジカル・セラピーが必要なのでリハビリ病院へ行く必要があるが、人工透析も必要なので、両方できる病院となると選択肢が限られてしまう。
 
 リストのなかに、ただ一つ生まれ故郷ブルックリンの病院名を見つけた。そこは美しい住宅街にある古い建物を改造した施設で、老人ホームとして長くやってきたが、1棟を改造してリハビリ・センターに作り替えたものだった。人工透析の設備はないものの、近くにあるロングアイランド病院へ行けば透析を受けられるという。
 
 そのためにたった2ブロック先ではあるが、往復とも救急車を呼び、ストレッチャーで運び込むことになる。救急車の代金は患者負担になるけれど、ブルックリンならピートも安心することだろう。ようやく故郷へ帰ってきたと思ってくれるかもしれない。

(第10回に続く)

※『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。

青木冨貴子(アオキ・フキコ)
1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。

デイリー新潮編集部