十人十色とはよく言ったもので、人はそれぞれ価値観が違う。だからこそ興味深い。価値観の合わない人とおもしろがって暮らせれば、いちばん楽しいかもしれない。

 ひょんなことから知り合った前田郁登さん(42歳・仮名=以下同)とそういう話をしていたら、「同世代の妻とは、価値観が合いすぎて、違うおもしろみが発見できない……」と少し愚痴めいた口調で言った。それは一種ののろけにも聞こえたのだが、一方で彼は現在、「好きな女性と半同棲しているんですが、週の半分は家にも帰っています」と淡々としている。それはまた変わっていると、こちらが少し戸惑っていると、彼はさらに「彼女とは肉体関係はないんです」と驚くような発言をかましてくれた。

 妻は彼が“恋人”と同棲していることを知らないという。あくまでも仕事の関係で彼がふだんは帰宅しないということになっているようだ。

「もうそろそろ、彼女を自立させなくちゃと思ってるんですが」

 わけがわからない。いったい、どういう人だろうと興味がわいてきた。

今でも妻を「さん」付けで

 郁登さんが結婚したのは21歳のときだという。

「ヤンキーのデキ婚です(笑)。いや、当時はすでにまじめに働いていましたけどね。相手は5歳年上で、先輩の彼女だったヒトミさん。僕は今でも妻をさん付けで呼んでいるんですよ。頭が上がらないから」

 先輩の彼女とデキて子どもまでとなれば、当然、地元にはいられなかった。ふたりは手に手をとって上京したそうだ。ヒトミさんの親戚を頼り、郁登さんは必死に働いた。

「いつか先輩にきちんと謝罪したいし、子どもは立派に育てたい。そう思っていました。僕は地元で内装関係の仕事をしていたので、上京してからも同じような仕事をし、あいた時間で仕事関係のスキルアップを図りました」

 ヒトミさんは帰国子女で当時から翻訳の仕事をしていた。

 出会いは、友人の両親が経営している居酒屋だった。ある日、郁登さんはそこで高校時代の先輩にバッタリ会った。その連れがヒトミさんだった。郁登さんがカウンターで飲んでいると、なにやらもめごとが起こった。振り向くと先輩カップルが、サラリーマン風の酔っ払いに絡まれていた。見るにみかねて郁登さんが止めに入ったところ、酔っ払いにいきなり殴られた。

「カッチーンと来ましたね。店内では迷惑がかかるから外に出ろということになり、外で3人を相手に暴れてしまいまして……。ビール瓶を持って向かってきたヤツがいたのでたたき落とそうとしてちょっとケガしました」

 警察もやってきて騒動にはなったが、先に手を出したのが酔っ払い連中だという周りの証言があり、全員軽傷だったこともあってことは大きくはならなかった。

 数日後、先輩とヒトミさんが彼をその居酒屋に呼び出し、ごちそうしてくれた。ヒトミさんは「あの人たちにからかわれたから、ムカッとして『ろくでなしの酔っ払いが』と言ってしまった。それで怒らせて、あなたに迷惑をかけてしまったの。ごめんね」と謝った。

「そのときのヒトミさんが、とてもかわいく、そして強く見えて。こんな素敵な彼女がいるなんてと、先輩を羨ましく思いました。その後、3人で帰るときに彼女が僕にメモを渡してきたんです。そこには『相談があるの。電話して』と番号が書かれていました」

「一瞬、本当に僕の子かなと…」

 帰宅してすぐ電話をしてみたがつながらない。おそらく先輩とまだ一緒なのだろうと彼は身を焦がれるような思いだった。すっかり恋に落ちていたのだ。

「翌日、彼女から連絡がありました。その日の夜会ったんですが、彼女は『彼とは別れたい』と言うんです。彼は人がよくて優しいんですが、彼女とふたりきりになると陰湿で、ときには暴力をふるうというんです。女性に暴力をふるうなんて許せないと思った」

 そこからふたりは急速に親しくなり、一緒にいたいという意思を確認しあった。だがヒトミさんはつきあっていた先輩を恐れて別れたいと言い出せない。そこで手に手をとって駆け落ちのように逃げたのだという。逃げてすぐ、ヒトミさんが妊娠していることがわかった。

「一瞬、本当に僕の子かなと思いましたが、彼女にそう言うわけにもいかない。今思えば、そもそもどうしてそれほど彼から逃げたかったのか……。やはり彼がそんな暴力的な男だとは思えなかったから。現に彼は僕らが逃げた数年後に結婚していますし、地元でも評判の幸せ家族になっているようなんです。ヒトミさんにはヒトミさんなりの逃げたい理由が他にあったとしか思えない」

 逃げたあとにヒトミさんから聞いた話も、そう思わせる理由になった。彼女は中学生までを海外で過ごした。ところが帰国後、突然、両親が離婚し、1年後に母は再婚したのだが、どうやらヒトミさんは新しい父親に言い寄られていたらしい。彼女は多くを語らないが、もっと嫌なこともあったのではないかと郁登さんは言う。

「先輩は家業のあとを継いでいたから、ヒトミさんは先輩とどこかに逃げることはできない。僕が手頃だったんじゃないでしょうか。でも僕自身も彼女にお尻を叩かれながら必死で働いた20代があってよかったと思っているんです」

離婚家庭で育った郁登さん

 子どもが生まれる直前、ようやく婚姻届を出した。ヒトミさんと日々を過ごすうち、郁登さんは、妻と子どものいる家が楽しいと思うようになっていった。

「実はうちも離婚家庭なんです。僕が小さいころに離婚したらしくて理由もわからないまま。僕は父と祖母に育てられました。この祖母が怖い人で、なにかというと『嫌な目つきするね、あんたの目つきは典子に似てる』『典子に似て何をやってもダメだ』と、母を引き合いに出して八つ当たりする。実際、母がどんな人だったかわからないけど、この祖母と一緒にはいられないよなと思っていました。僕も中学からグレ始めて家に寄りつかなくなっていましたから。とはいえ、不良グループみたいなのも好きじゃなかったから、友人の家の軒先で寝たりしてただけで、何をしていたのかあまり覚えてないんですが」

 高校にはなんとか滑り込んだが、「ろくでもない日々」を送っていた。そんなとき、例の“先輩”に救われたことがある。空腹を抱えて、高校の近くのパン屋にふらりと寄ったときだ。

「実はお金をもってなくて……。手に取ったパンを一瞬、ポケットに入れようか迷ったんです。そうしたら年上の男性が、『きみ、○○高校だろ。オレの後輩じゃん。奢ってやるよ』と言ってパンを4つ、買って渡してくれた。じゃあと去りがてら『かっこ悪いことするなよ』って……。見抜かれていたんです。いったい、あれは誰なんだと嗅ぎ回ったら、高校の5年先輩で今は隣町で家業を継いでいるって。それ以来、ほとんど会うこともなかったんですが、20歳のときに再会して、それからは仲良くしてもらっていました。だから先輩の彼女を略奪して逃げたこと、ずっと心にひっかかっていました。先輩が結婚して幸せに暮らしていると知っても、心の中の苦い塊は溶けません」

 だからこそ、よけい家庭を大事にしようと決めた。ヒトミさんも郁登さんも、「穏やかで平和な家庭」を知らずに育った。どうしたらいいかわからなかったが、お互いに思いやりをもって暮らすしかないと感じていた。

「僕は祖母に、ヒトミさんは母親の再婚相手に嫌なことを言われたりされたりしてきた。だから家の中に“悪意”を持ち込まないようにしようと話し合ったんです。虐待家庭出身者じゃないと生まれない言葉だと思うけど、僕らは人の悪意に妙に敏感で。相手がちょっとでも見下してきたら、たとえそれが冗談口調であっても、悪意を見つけてしまうんです」

 人の悪意は体に悪いから、と郁登さんはニコッと笑った。

後編【仕事場近くのマンションで21歳女性と半同棲する42歳夫 妻にバレても“堂々としていられる”という身勝手な言い分の根拠とは】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部