漫画のような展開

 プロ野球シーズンが幕を開け、大いに盛り上がっている。その中でも5シーズンぶりの日本球界復帰となった、横浜DeNAベイスターズ・筒香嘉智のインパクトは強い。復帰戦で劇的な3ランを打ち、横浜スタジオが歓喜の渦に包まれるとともに、多くの野球ファンの心を揺さぶった。

 日本球界屈指の大砲として海を渡った筒香だが、アメリカでは決して芳しい成績は挙げられなかった。しかし、腐ることなく日本に復帰。その試合で3ランを放ち、漫画のような展開を見せた。『起死回生 逆転プロ野球人生』(中溝康隆・新潮新書・968円)にはこのような劇的なドラマの数々が描かれている。

 登場する選手は30人。いくつかのタイトルと登場する選手名を紹介する。

・サウスポーは二度死ぬ(遠山奬志)
・早すぎる現役引退とWBC優勝(栗山英樹)
・戦力外から2億円プレーヤーへ(山本和範)
・その野球人生は革命だった(野茂英雄)
・「二軍の帝王」の覚醒(吉岡雄二)
・「古田の影武者」がリーグを代表する捕手に(野口寿浩)
・「悲劇のヒーロー」の球史に残る大リベンジ(小林繁)
・「巨人に捨てられた」一匹狼の逆襲(西本聖)
・「星野監督を見返す」遅咲き野球人生(矢野燿大)
・虎の便利屋から竜の救世主へ(関川浩一)
・「いぶし銀」が輝いた新天地(奈良原浩)
・30代半ばで球速アップ、最多登板(香田勲男)

実にサラリーマン的

 本書はこうした選手のキャリアを振り返るが、そこには人間関係のドロドロや、恨み骨髄、華麗なる復活や逆襲といった「半沢直樹」的な描写も多数登場する。となれば、一般的な“勤め人”にもその姿勢は当てはまるわけで、本稿ではそんな観点から選手のドラマを紹介したい。

 まずは山本和範だ。1976年に近鉄にドラフト5位で入団するが、一軍の打席に初めて立ったのは4シーズン目の80年。翌81年までの成績は38打数6安打の.158、1本塁打5打点。81年シーズンで解雇され、同期入団のドラ1、久保康生の紹介で82年シーズンはバッティングセンターの管理人となる。この後が実にサラリーマン的なのである。山本は83年シーズンにプロへと舞い戻るのだが、当時の心境についてこう綴られている。

〈だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない──。そんな山本に救いの手を差し伸べたのは、南海ホークスだった。高校時代の山本がプロテストを受けた際、「ドラフトで指名する」と声をかけてくれた穴吹義雄が一軍監督に就任したのである。どの世界でも、自分を評価してくれる上司との出会いは人生を変える。オレは拾われたのではなく、評価されて新しいチームに行くんだ。新天地では前向きな気持ちで野球と向きあった〉

最強の控え捕手

 山本はその後、代打として結果を残す。そして、1984年は門田博光の後を打つ5番打者として活躍し、115試合で打率.306、16本塁打を達成。1985年は全130試合出場でオールスターMVP、ゴールデングラブ賞受賞となり、以降は南海・ダイエーで3割打者の常連となる。そして年俸は2億円にまで上り詰める。まさに上司と同僚に恵まれれば大化けすることを地で行ったのだ。もちろん本人の頑張りと才能あってのことだが。

 そして、もう一人、哀愁漂う選手が野口寿浩だ。

 1989年にドラフト外で入団し、1991年に1軍デビューを果たす。次の出番は1994年。141打数38安打の.270、10打点という及第点を挙げる。しかし、95年は18試合、96年は11試合、97年は16試合の出場で3年間の打数はわずか43。

 野口はその翌年、日本ハムの正捕手になり、阪神、横浜と渡り歩く貴重な控え捕手であり続け、39歳の年に引退したが、なぜヤクルトではそこまで活躍できなかったのか。理由は古田敦也という偉大なる正捕手がいたからだ。

〈「出番があれば、必ずいい仕事ができるように準備しています」なんて口にはするものの、どんなに頑張っても“最強の控え捕手”止まりの現実。追い打ちをかけるようにヤクルトは95年ドラフト会議で明治大学のキャッチャー野村克則を指名した。つまり、野口は“平成最高の捕手”に加えて、“監督の息子”とひとつしかないポジションを争うことになるわけだ。出場機会が減ることはあっても増えることはないだろう〉

あのトレードが……

 日本ハムに98年シーズン開始直前に移籍するが、その時の記述はこうだ。

〈他球団でのプレー願望を捨てなかった新背番号54の“出されるトレード”ではなく、“自ら出て行くトレード”だ。〉

 前阪神監督の矢野燿大については 「星野監督を見返す」遅咲き野球人生 という過激な章タイトルがついているが、これも痛快である。1997年、中日からは大豊泰昭と矢野が、阪神からは久慈照嘉と関川浩一という大型トレードが実現した。

〈「トレードが決まったから」 97年10月13日午後10時30分、自宅マンションの電話が鳴り、球団からそう告げられるのだ。想定外の阪神行き。その電話の内容を伝えると、愛知出身の妻は号泣したという〉

〈トレードを告げられた夜は悔しさから一睡もできなかったが、やがて矢野の中に「星野監督と中日を絶対に見返す」という気持ちが湧き上がってくる〉

 結果的に矢野は阪神の不動の正捕手となり、2回のリーグ優勝を経験し、引退後は監督にまで上り詰めるのである。あのトレードが矢野の出世に大きく影響したのは間違いない。一方の関川にしても、1999年シーズンは打率.330で中日のリーグ制覇に大きく貢献。元々2人とも活躍していたが、配置転換でより輝いたのであった。

 本書に登場する選手たちは一流でありながらも常に順風満帆だったわけではない。野茂英雄だってそうだ。上司たる近鉄・鈴木啓示監督との折り合いは悪かったし、MLB挑戦に対しては避難囂々だった。しかし、その後、雑音は結果で黙らせた。現在仕事でキツい人は一度読んでみてはいかがか。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部