強豪校では大半の部員がスタンドで応援

 夏の風物詩である甲子園大会の3日目が予定される2024年8月9日、既存の高校野球とは“真逆”の価値観を持ったリーグ戦形式の取り組みが北海道で始まる。「補欠なし」「燃え尽き症候群の撲滅」「チームより個人の価値を優先」。それが「リーガ・サマーキャンプ」の目指す理想だ。【中島大輔/スポーツライター】

 今年で第106回大会を迎える夏の甲子園大会は、高校野球の枠を超えて日本の文化とも言える歴史を積み重ねてきた。

 だが100年以上の年月を重ね、制度やあり方に不具合が生じている部分も少なくない。

 例えば全国に3818の加盟校(2023年5月末時点)があるなか、夏の甲子園に出場できるのはわずか49校。負ければ終わりのトーナメント形式で開催されるため、「予選」と言われる地方大会で大半のチームが敗れ去るのだ。

 とりわけ育成年代は試合を重ねて成功と失敗を繰り返すことで成長していけるから、サッカーやバスケットボールでは高校生の大会にもリーグ戦が導入された。この2競技では「NF(National Federation)」と言われる協会(日本サッカー協会や日本バスケットボール協会)を中心にピラミッド形式で育成が計画的に行われるのに対し、日本高等学校野球連盟は文字どおり高校生年代の男子野球だけを対象とした組織のため、中長期的視点を持ちにくい(女子高校野球は全国高等学校女子硬式野球連盟が統括)。

 運よく甲子園に出場できても、ベンチ入りできるのは各校20人。強豪私学では100人を超える部員が在籍するチームもあるため、大半がスタンドで応援に駆り出される。高校3年の春すぎにベンチ入りの可能性がないと判断されると、以降は練習補助に回されるチームもあるくらいだ。

 そんな“理不尽”な甲子園のあり方に対し、もっと高校生の成長につなげられるようにアップデートを促す声は少なくない。その一人が、2000年代後半にロッテのクローザーとして活躍した荻野忠寛氏(現JFE東日本投手コーチ)だ。

「高校野球はもっと選択肢を増やすべきです。『メンバーを外れたら応援しろ』というのはおかしい。もっと自分の幸せを追求していいという文化に変えていく必要があると思います。そういう意味でも、リーガ・サマーキャンプが高校野球のハードルを低くするきっかけの一つになればいいですね」

“美談”の裏にかくれた球児の切実な思い

 荻野氏も指導で携わるリーガ・サマーキャンプは、8月上旬から中旬にかけて北海道の栗山町民球場で行われる実戦形式の取り組みだ。個人応募で高校3年生を80〜90人募ってチームを編成し、9日間で各チームが7〜9試合プレー。最終日の試合は日本ハムの本拠地エスコンフィールドHOKKAIDOで開催される。

 甲子園が“高校野球”という枠組の中で行われるのに対し、高校3年生を対象とするリーガ・サマーキャンプは“高校野球以降”につなげる仕組みが特徴だ。例えば、以下がその一部である。

・木製バットを使用
・全試合で投球数制限を実施
・スポーツマンシップの学習

 高校野球にリーグ戦を導入しようと活動する一般社団法人Japan Baseball Innovationの阪長友仁代表理事が企画し、参加費26万9500円(税込)。決して気軽に参加できる金額ではないが、ドラフト候補と報じられる公立高校の投手や、大学進学後に野球を続けたい者、アメリカの名門IMGアカデミーに在籍する高校生など、明確な目的を持ってエントリーしている選手ばかりだ。

 そのなかで甲子園を狙える強豪私学に在籍しながら“補欠”扱いされる一人が、匿名を条件に志望動機を明かす。

「今、試合であまり投げられていない現状があります。投げるのはブルペンでの投球練習がほとんどです。ブルペンで投げているだけでは今の自分がどんな状態なのか、打者が立ったときに打ち取れるのかなどわからないことが多くあります。正直、面白くないと感じてしまうこともある。そんななかでリーガ・サマーキャンプを見つけました。参加することができれば野球をしっかり楽しめ、少しでもやり切ったと思えるのではないかと感じました。ここまでの野球生活を支えてくれた親にプレーしている姿を見せ、少しでも恩返しとなるように良い姿を見せたいという思いもあります」

 甲子園でベンチ入りできずにスタンドから声援を送る選手の姿は“美談”としてテレビや新聞では語られがちだが、胸の底に上記のような思いを抱いている者もいることを忘れてはならない。彼らが野球部に入るのは、自分が檜舞台に立ちたいからだ。

周囲と比べて図抜けた能力

 そうした思いを特に強く持ち、リーガ・サマーキャンプにエントリーした選手がいる。工藤琉人、日本体育大学附属高等支援学校の3年生だ。

 知的障がいを抱える彼は小学2年生から野球を始めて中学までプレーしたが、野球部のない同校に進学した。

「入学した頃は、学校を辞めたいなってずっと思っていました。それくらい野球をしたくて……。寮生活なので、バットやグローブを持っていって自由時間があれば素振りする。それを続けてきました」

 スポーツに特化したこの高等支援学校で工藤は陸上部に所属し、やり投、円盤投、砲丸投を専門としている。第61回北海道障がい者スポーツ大会の陸上競技ではソフトボール投(障害区分27−少)で優勝、記録97m67は全国記録を6m以上も上回る快挙だった。やり投も第76回北海道高等学校陸上競技選手権大会で49m53を記録した腕前だ。

 一方、知的障がいのある生徒が甲子園出場を目指せる土壌づくりを目的とする「甲子園夢プロジェクト」で工藤は野球を続けている。だが毎月の開催場所は都内近郊のため、網走在住の工藤は「年に3回行けるかどうか」だ。遠方から駆けつけても、心から満足してプレーできるわけではない。彼の能力は周囲と比べて図抜けているから、力をセーブせざるを得ないのだ。前述の荻野氏が語る。

「工藤君は高校1年生で130km/h近くのボールを投げ、バッティングも左打席からスタンドに放り込めました。当時は強豪校でも通用するレベルで、高校3年間しっかり野球をする環境があれば、大学や社会人で活躍する可能性もあったと思います。知的障がいがあるとは、言われないとわからないレベルです」

 母親の香織さんは「甲子園を目指せなくても、甲子園を目指している人たちと同じグラウンドに琉人が立てれば」と願い、地元の北海道高校野球連盟釧根支部に申し込んで夏の支部大会決勝で始球式に投げさせてもらった。2022、2023年と登板し、昨年は大会関係者から「(出場選手を含めて)今大会最速でした」と言われるほど速い球を投げ込んだという。SNSで動画を見ると、多くの高校球児より力強い球を投げていた。

チームを離れ、1人の選手としてプレーする

 香織さんは息子に野球を存分にプレーさせられる場所を探し、ついに出会ったのが個人エントリー型のリーガ・サマーキャンプだった。工藤は久々に野球を思い切りプレーできる機会を待ち望んでいる。

「自分はうまい人とやれると燃えてくるタイプです。甲子園夢プロジェクトではうまく捕れない人もいるから、相手のことを考えて投げないといけない。サマーキャンプは遠慮しないで送球できるので楽しみです。僕が今、野球部に入っていないからといって手加減はしてほしくない」

 リーガ・サマーキャンプという機会がつくられたからこそ、工藤は久しぶりに本気で野球をプレーできる。しかも相手にはドラフト候補や、海外の名門でプレーする選手もいる。チーム単位の高校野球と異なり、個人に焦点を当てるからこそ多様性が実現可能になるのだ。

 大会を主催する阪長代表理事が言う。

「サマーキャンプでは既存のチームから離れ、1人の選手としてそこで出会う仲間とプレーします。環境が変わることで、まだ自分自身も気づいていない能力を引き出せるチャンスがあると思います。それぞれの選手が自身の中に内在する『できる自分』を見つけ出す。サマーキャンプがきっかけで、本来は出会わなかったはずの選手同士が出会う。そこで新たな化学反応が起こり、それぞれの人生が変わっていく。バタフライ・エフェクトと言われるように、一人ひとりの勇気や行動、チャレンジが未来を変えていくことを期待しています」

 甲子園を頂点とする高校野球では限られたエリート層が優遇され、“負けたら終わり”という仕組みのなかで燃え尽きる者を少なからず生み出してきた。そうした甲子園システムが日本の伝統的な文化をつくってきたのも事実だが、令和の今、個人がもっと輝ける舞台も同時に不可欠だろう。

 理不尽より権利。組織のために犠牲になるのではなく、個人が自由にやりたいことを追求する。参加するのに一定の金額はかかるが、リーガ・サマーキャンプだからこそ手に入れられる価値が多くあるはずだ。

中島大輔
1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年からセルティックの中村俊輔を4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。最新作に『山本由伸 常識を変える投球術』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部