2020年8月、ロシアの反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏は、ロシア国内を旅客機で移動中、気分が悪くなり、あまりの苦痛にうめきだした。機は最寄りの空港に緊急着陸。

 病院に搬送されたが、なぜか所持品が押収された。病名もはっきりせず、このままでは命が危ないとナワリヌイ氏の仲間はドイツに助けを求めた。ロシア側の抵抗に遭うがドイツへ移送。検査の結果、ソ連が開発した猛毒の神経剤ノビチョクが原因と判明した。

 この毒物は下着の内側に仕込まれていたことが後に分かった。ナワリヌイ氏の宿泊先に潜入し、パンツに毒を付けたのだ。皮膚から毒が吸収される仕組みだ。ロシアは関与を否定したが、過去にもノビチョクを使った暗殺未遂は起きていた。

「プーチンはガス抜きに利用していた節が」

 1976年、モスクワの郊外生まれ。父親は職業軍人、母親は会計士だった。ロシア諸民族友好大学で法律を学び、弁護士に。株式投資をするうち、ロシア企業の内情に触れ、汚職や不正を追及する活動を始めた。

 産経新聞元モスクワ支局長で大和大学教授の佐々木正明氏は言う。

「ナワリヌイ氏はインターネットを活用し、人気ブロガーでもありました。プーチン政権幹部や企業の汚職、腐敗を調査報道の手法で明るみに出したのです。若者を中心に支持を広げましたが、プーチン大統領は政権批判のガス抜きに彼を利用していた節があります」

 時事通信の元モスクワ支局長で拓殖大学特任教授の名越健郎氏も言う。

「ナワリヌイ氏が反体制の活動家として存在感を現したのは2011年です。同年に行われたロシア下院議員選挙で与党の不正を指摘、“詐欺師と泥棒の党”と酷評して共感を得たのです」

「階級闘争につながりかねない」と政権が危険視

 13年にはモスクワ市長選挙に立候補。敗れたものの2位で約27%を得票した。

「ナワリヌイ氏を直接取材したことがあります。ジョークがうまく演説もキレがいい。支持者をうまくのせて、あおっていく感じもしました。身長は190センチほどあり集会でも目立ちます。若い人たちのカリスマ的存在でした」(佐々木氏)

 汚職の告発も続けた。

「要人の不正蓄財などが暴露され、国民との富や機会の異常な格差が明確になると、不満がやがて階級闘争につながりかねないと政権は危険視し出した」(名越氏)

 当局は活動に圧力をかけ、18年の大統領選挙では出馬を認めなかった。

 こうして毒殺未遂に遭う。拘束されると分かっていて、21年1月に帰国。協力者の支援を得て、黒海沿岸にある豪邸をプーチン大統領のものと暴露する動画を公開。10日で1億回も視聴された。

「21年1月、彼の行動を支持するかという独立系機関の世論調査で支持19%、不支持56%、知らない13%となっています。熱烈な支持者がいる一方で、冷めた目で見られていることを示します。国営メディアが彼をおとしめるような報じ方をする影響もあります」(佐々木氏)

「殉教者になることを政権は危惧している」

 率いる団体が「過激派組織」に認定され、刑期が大幅に延長。昨年12月、北極圏にある刑務所に移された。弁護士を通じて政権批判を続けたが、反体制派は崩壊に近い状態だ。

 当局の発表では、2月16日、ナワリヌイ氏は散歩後に気分が悪くなり意識を失い、医師が蘇生措置を施したが、死亡を確認したという。突然死とされ、享年47。

 22年公開の映画「ナワリヌイ」はアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した力作だ。同作の中で、もし殺されたら、と問われ、「私たちの力が巨大なので、彼らは私を殺すと決めたということだ」などと語った。

 全国で慰霊の献花に訪れた人が拘束されている。

「モスクワで支持者が献花している場所は、ソ連時代に政治弾圧された犠牲者を追悼するモニュメントです。政権はナワリヌイ氏が殉教者になることに神経をとがらせています」(佐々木氏)

「週刊新潮」2024年2月29日号 掲載