茂山起龍さん(撮影/高野楓菜)

 中学受験をするのは、その多くがわずか12歳の小学生です。都内で中学受験塾「應修会」を主宰する茂山起龍(きりゅう)さんは、受験後も教え子たちと交流を続けるなかで、中学受験生たちの“その後”を見つめ続けています。AERA with Kids+の連載「中学受験、その先に」。今回は、中学受験の段階では精神的に幼かったものの、その後に飛躍した生徒のエピソードから、成長度合いに合った学校を選ぶ大切さについて考えます。

■目標が持てないなかでの中学受験

――多くの子どもは12歳で中学受験に臨みます。成熟度や成長の度合いにまだまだ差がある年齢です。受験勉強中は精神的に幼い生徒もいますね。

 記憶に残っているのが、小学5年になっても、「右」と「左」の漢字を「どう書くんだっけ?」と悩んでしまうような、勉強面でも精神的にも幼いと感じた男子生徒です。受験勉強は、ご両親の意向で始めたものの、気持ちが勉強に向かないから成績も伸びていきませんでした。

 小学生の時に、友達にイジられ嫌な思いをしたことから地元の中学には進みたくないという気持ちはあったようですが、「この学校に行きたい」という明確な目標もなかった。ポジティブな目標がないなかでの受験でした。

――目標を持てないなか、最終的にどのように進学先を選んだのですか。

 チャレンジ校として、持ち偏差値よりもかなりポイントの高い付属の中学を目指していましたが、1月の前受け校でも合格を手にできなかったので、その段階で厳しいな、と。実際、第1志望の付属の中学からは合格をもらえず、次に志望していた進学校も不合格。最終的に進むことになった学校に合格した際は、「不合格ではありませんでした」と僕に電話しながら泣いていたので、彼なりにホッとしたのだと思います。

 進学先については、「校風に合っているから、頑張って通ってみるといい」と伝えたことを覚えています。

――進学先はどんな学校だったのでしょう。

 おおらかでゆったりとした校風を持つ、面倒見のいい中堅の男子校です。

 彼は競争心が強いわけではなく、どちらかというと穏やかな優しい子で、似た雰囲気を持つ生徒が多く通っている印象です。そして教員も物腰の柔らかい方が多く、精神的に幼い子であっても見守り育てていこう、という姿勢がある。本人も、「自分の性格に合っていたし、通えて本当に良かった」と後に語ってくれました。

■中学入学後、学年上位に!その後も好成績を維持

――入学後の成績はどうでしたか?

 実は、中学1年の時点でいきなり学年9位となり、その後も大きく順位を落とすことはありませんでした。彼は中学受験時から、与えられた宿題は必ずやってきたし、コツコツ努力ができるタイプでした。中学受験は精神的に成熟している子のほうが有利で、当日に能力を発揮できるだけの強さや、ひらめきも必要です。

 一方、彼はコツコツ型なので、定期試験など、日々の努力が身を結ぶタイプの試験のほうが向いていたのかもしれません。そのうえ、学力レベルの近い仲間たちと切磋琢磨するなかで、「頑張ったらもっと上に行けるかもしれない」という自己肯定感も芽生えたのだと思います。

 結果的に6年間、上位の成績をキープしたまま 、指定校推薦で早稲田大学の理工系学部に進み、「右」と「左」の漢字で悩んでいた中学受験の時からは想像もできないくらい大きく成長しました。

――この飛躍の理由は何だったのでしょう。

 一つは、学校が彼の精神的な成長の度合いに合っていたこと。特に男子生徒によく見られるパターンですが、12歳の中学受験をするタイミングでは精神が幼くて未熟で、中学に入ってから徐々に成長していく。そこを焦らず、見守り育ててくれた校風が合っていたのだと思います。

 もう一つは、中学受験では「自分はあまり勉強ができない」と思っていたけれど、進学後に、「実はそうではないかもしれない」と自信を得られたことでしょうか。そして、中学受験で希望する学校に入れなかったことで、入学後、早い段階で「悔しい。見返したい」という気持ちが芽生えたことも彼を大きく成長させた理由だと思います。

■「世間のイメージ」とは違う学校の一面を見つけて

――性格に合った学校を選ぶことは、偏差値で上を目指す以上に大切なことなのかもしれません。

 通う生徒たちが醸し出す雰囲気や校風は、学校ごとに異なります。だからこそ、「体育会系で男くさい男子校」「おとなしい子が集まる女子校」などといった世間のイメージだけで選択肢から外してしまうのはもったいない。

 親御さんは、説明会で学校のPRを聞いて終わりにするのではなく、個別相談会などでたくさん質問をして、子どもの性格と合っているか見極めてほしいなと思いますし、長年、学校や生徒たちの様子を見ている塾の先生にも意見を求めてほしいと思います。「世間のイメージとは違う学校の一面」を積極的に見つけにいってください。

――第1志望校の不合格という現実も、前向きな意味で成長の「糧」になったのでしょうか。

「中途半端に物事に取り組んでも、身を結ぶことはない」と小学生ながらに学んだのでしょう。中学受験の時は、「ここを受けたい」「何がなんでも受かりたい」という強い気持ちがなかったから第1志望校に受からなかった、ということに早い段階で気づけた。「なりたい自分」を思い描けず、「次はそうはなりたくない」という気持ちにつながったのだと思います。

 生徒のなかには、第3、第4志望に進学し、残念な気持ちを引きずったまま前向きになれずにいる子もいますが、現実を受け入れ、次へ向かう姿勢こそが大切だと思います。

 彼は、中高一貫校での6年間で「この学校で働く先生たちのような仕事をしたい」と教師を目指した時期もあれば、周囲の環境から医師を目指していた時期もありました。日々前向きに過ごしていたからこそ、その時々に「なりたい自分」を見つけることができた。いま自分がいる場所で、楽しむ努力をしている子どもは伸びていく、と生徒たちを見ていて感じます。

 この男子生徒はこの春大学を卒業し、さらに大きな夢を見つけ、アメリカの大学院への進学に挑戦しています。夢を追いかける彼を、今後も応援していきたいと思っています。

(聞き手/古谷ゆう子)