精神科医の藤野智哉氏

 いくら「他人のことなど気にしない」と思っていても、周囲からの一言で傷ついてしまうことは誰にでもある。さらに、自分は遠ざけようとしても、「他人の人生に口を出したい人」というのは一定数いるものだ。そんな人に関わって疲弊しそうなとき、私たちはどうすればいいのか。精神科医の藤野智哉さんは「人間は6割が水だと思えばいい」と予想外のアドバイスをする。その真意とは? <藤野智哉氏『「そのままの自分」で生きてみる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から一部を抜粋、再編集しています>

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「他人を気にしない」と気をつけていても、他人のほうから、ごちゃごちゃ言ってくることってありますよね。

「人の人生に口出ししたい人」って意外に多いものです。

 たとえば、「あとは結婚だけだね」「そろそろ子どもは?」などと、人の人生をいちいち決めつけて言ってくる人がいます。

「俺にかまわず行け! お前は自分の人生に集中しろ!」

 って言ってあげましょう。

 もちろん、心の中でOKです。

 人の人生に口を出す人はたいがい暇です。自分の人生が充実している人は、人の人生につべこべ言ってきたりしません。

 だから「暇なんだなー」くらいに思っておけばいいものです。

 他人はあなたのために生きていないし、あなたも他人のために生きる必要はない。このことを腹落ちすると、だいぶ生きやすくなりますよ。

■他人の期待は「他人の持ち物」

 ただ、そうはいっても、気にせざるをえない場合もありますよね。

 たとえば「結婚して2年たつし、そろそろ子どもは?」と言ってくるのがお姑さんだとしたら、「無神経な言葉だな」と思いつつも気にしてしまう人も多いでしょう。

 こういうときは、こう考えてみてはどうでしょうか。

 人間って6割水分なんで、なんかワーワー言われても「この人なんで水に向かってこんなに必死に言ってるんだろう」って。

 そう思うとハートつよつよモードになれます。

 人間は6割が水だと思うと、ちょっと気持ちがラクになってきませんか?

 そもそも「そろそろ子ども(孫)は?」はお姑さんの勝手な「期待」です。

 他人の期待は他人の持ち物。自分が背負う必要はありません。

 ここの「他人の期待」の線引きが曖昧(あいまい)だと苦しくなったりします。お姑さんが期待しているからといって、自分がそれに応えなくたって全然いいんです。

 とはいえ、ついつい「他人の期待に応えなきゃ」って思ってしまいがちですよね。

 優しい人などは、「応えられない自分が悪い」と自分を責めてしまったりするかもしれません。

 他人からの期待って本当にやっかいなんです。

 もしも、他人の期待に「応えなきゃ」と思ってしまったら、ちょっと俯瞰して「相手の期待」と「自分のしたいこと」を線引きするといいかもしれません。

 たとえば、ママ友に「今度、子どもと家に遊びに行っていい?」と言われたら、「自分は本当に遊びに来てほしいかな?」と立ち止まって考えてみます。

「遊びたいけど、私の家はイヤだな」という気持ちが浮かんできたら、無理に応えなくてもいいのです。

「家に遊びに行きたい」はあくまでも相手の期待です。自分で背負う必要も、断ることに罪悪感をもつ必要もありません。

「遊びたいけど、あなたの家ではダメ?」などと提案したっていいわけです。

■「反省」や「改善」は本当に意味があるのか

 相手の期待に苦しくなったときは、立ち止まって考えるクセをつけたいですね。

 他人からいろいろアドバイスのようなことを言われることもあると思います。

「小さいことをあんまり気にしないほうがいいよ」
「人の言うことは素直に聞かなきゃ」
「もっとまわりを見渡したほうがいいよ」

 というように。

 時にこういう言葉って、深い意味もない気軽なものだったり、「自分の望むとおりに動いて」とか「自分の言うことを聞け」という理不尽な意味で発せられたものだったりもします。

 でも、真面目でがんばりやさん、いい人や優しい人って、こういうときにもちゃんと「もっとこうしなきゃ」「こんなやり方もあったかも」って反省したり、改善しようとします。

「ちゃんと悪いところを修正しなきゃ」「至らない点は改めよう」「このままじゃダメだ」なんて、指摘された部分、誰かと比べて足りないと思ってしまっている部分を埋めようと、がんばりだしたりします。

 自分の中に「反省」と「改善」がインストールされてしまっていて、「ああすればよかった」「次からはこうしなければ」と、自分を責めて反省したり、がんばって改善しだしたりします。

 でもね、その「反省」や「改善」は自分にとって本当に意味のあること、本当に大事なことだったりするんでしょうか。

 誰かの何気ない一言や理不尽な言葉がきっかけで、あなたの特性や素晴らしさを押さえ込んだり捨ててしまうのは、ちょっともったいない。

「小さいことが気になる」のは「繊細で細やかなところに気づける」という長所になったりします。

「素直に聞かない」のは、「物事を鵜呑みにせず、ちゃんと考えている」という良さになるかもしれません。

「まわりを見渡せない」のは、「集中力がある」という意味にもなります。

■変わるのは「変わりたい」と思ったとき

 つまり、「自分の良さ」「自分本来の特性」を無理して消してしまうことにつながったりもするんですよ。

 だから反省や改善は、あせってするのではなく、まずは自分の心も体もケアして、フラットな状況になってからでもいいんじゃないかなと思うんです。

 誰かから気になる一言や胸に刺さる言葉を言われたときは、すぐに反省して改善しようとがんばろうとするのではなく、いったん立ち止まって、自分の心や体のケアをする。

 そして、心身ともにいい状態でその言葉を振り返ってみるのです。

 たとえば、ノートにその言葉を書いてみて、

「その言葉の意味はどういうことか」
「反省するところ、改善するところは本当にあるのか」
「その反省や改善によって『自分らしさ』に無理は出ないか」

 などを考えてみるのです。

 誰かからふと言われた言葉で「変わらなきゃ」「このままじゃダメ」と反省や改善をしがちですけど、もちろんそれも悪くないんですけど、でもまずは、自分を心身ともにケアして落ち着いた状態で自分と向き合ってみることが大切だったりします。

 そして、「自分本来の特性」「素のままの自分」も大切にしてあげてほしいなとも思います。

 そのうえで、自然と変わりたいと思ったときに、変わるのでもいいんじゃないでしょうか。