ヤフー・オークションで手に入れた7万円のシトロエン・エグザンティアを、10カ月と200万円かけて修復したエンジン編集部ウエダの自腹散財リポート。天国と地獄が代わる代わるやってくる本篇と、フランスに行った番外篇をちょっとお休みし、エグザンティアの修理中に乗っていた、代車ランチア・ゼータについてリポートする。

さすがはランチア

カークラフトへ入庫したエグザンティアの代わりに、ランチア・ゼータの鍵を受け取ったのは3月某日の夕方のこと。幸い天気は良かったが、寒の戻りを想定したのか、スタッドレス・タイヤを履いていた。



近ごろあまり見かけない縦型のノブを握り、手前に引いてドアを開ける。おそらくコストを優先したのだろう。前席およびスライド・ドアの4つのノブはすべて共通の縦型タイプで、けっしてスタイリッシュじゃない。よく言えば素朴、悪く言えば無骨なものだ。

けれど、これが思ったよりずっと力を入れやすく、使いやすい。後ろのスライド・ドアは電動じゃないけれど、一度このノブを引きロックを解除すれば、大きな力を入れずともするりと開けることができる。

よいしょ、と身体を持ち上げる感じで運転席へ。シート・ポジションはけっこう高めだ。とはいえショルダー・ラインが低い上に少し後ろ下がりになっているし、三角窓もあるし、大きなガラス・ルーフもあるから、室内はすごく明るく開放的だ。

ゼータは一部グレードではシート調整に電動式も選べたようだが、この代車は手動式だった。座面下のレバーを引きスライドさせ、横のノブをつまんでバックレストを起こすと、ドライビング・ポジションはすぐピタリと出た。



両手をステアリング・ホイールに添え、右手を横にずらすと、ちょうどいいところにマニュアルのシフト・ノブがいる。スコスコとシフトを試しにいじってみて、何かに似ているな、と思った。しばし考えて思い出したのが、フィアットの2代目ムルティプラだ。

運転環境も視界もムルティプラにとてもよく似ている。開放的だけど、ノーズの先がまったく見えないところも一緒だ。ゼータは1990年代のクルマだし、コンセプトはまったく違うけれど、後のムルティプラ開発時に多少の影響はあったに違いない。

センター・コンソールがないので、試しに助手席や2列目席にも移動してみる。車内における座席の移動はたやすい。しかも2列目も3列目も、グレーの小ぶりな中央席を除けば、造りもサイズもまったく前席と同じ印象だ。左右に脱着式の肘掛けがあるから、居心地もとてもいい。試すことはできなかったけれど、前席は回転させることも可能だという。

運転席に戻ってキーをひねると、アイドリングは予想よりもずっと静かだった。内装のしつらえも含め、さすがランチア、というべきか。普段から触り慣れているエグザンティアとまったく一緒のステアリングを握り、クラッチを繋いで走り出す。

絶品のステアリング・フィール

なんだこれ!? と最初に思ったのはステアリングの感触だった。よく知っているはずのエグザンティアと同じデザインだけど、手応えはいつものようにねばりっこくやや重いものではなく、かといって軽すぎず、とにかく自然なのだ。



低速でも高速でも、どんなときもステアリングは路面の情報をしっかり伝えてくる。油圧式のアシストが適切なことに加えて、車体の、特にフロアのがっちりした感触がそれを補っている感じだ。タイヤがどの位置にあって、どう動かしたらどう反応するか、ちょっと気持ち悪いくらいよく分かる。田舎のくねくねした道を走るペースが、どんどん上がっていく。

この季節、引っ越しなどレンタカーでちょっと古いハイエースのようなクルマに乗る人も多いことだろう。ああした実用一辺倒の商用車に乗ると、いかに現代の乗用車の装備が過剰か、気がつくはずだ。たとえば(コストダウンが主な理由だが)レーンキープアシストのためとされる電動モーター式のパワー・ステアリングが、クルマとひとのコミュニケーションをかなり阻害していることがよく分かると思う。

ゼータはもともとPSAグループがフィアットと共同でほとんど初めて開発したミニバンだ。気合いも入っていただろうし、前例のなかったカテゴリーのモデルだったこともあって、人や荷物の積載重量にかなりのマージンを取ったのだろう。実際床下を覗いてみると、車体や足まわりはごつく、いかにも強固そうなものだった。



当時のカタログに掲載されていた透視図からも、それがよく分かる。結果的に、その力の入れようや大きめの余地は、ひとが操る道具として正しく頑丈な車体構造と、ひとに情報を豊富かつ緻密に伝えるインターフェイスへと繋がった。1990年代前半という、安全や環境という要素がさほど重要視されていなかった時代なのも良かったのだろう。

加えてランチア版であるゼータは、その性格上、他のブランドに比べ乗員数が少ない仕立てが前提だった。基本、実用一辺倒のフィアット・ウリッセもプジョー806もシトロエン・エヴァジオンも7人ないしは8人乗りなのに対し、上質な方向性を狙ったゼータは6人ないしは7人乗りなのである。強固ないわばオーバースペックな造りなのに、乗せる人数は少なくていい。クルマの成り立ちにおいてプラスとなる要素が、こうして偶然積み重なっていったのだった。

それにしてもこのステアリングの感触の素晴らしさは、とてもスタッドレス・タイヤを履いているとは思えなかった。エグザンティアより重心が遙かに高いのにふらつくことなく、高速直進性も大差ない。いやはやこれで上質な新品タイヤを奢ったら、どうなるのかまったく想像がつかない。

しかもゼータからは、こうしたフランス車的なロング・ツアラーの要素に加えて、初代フィアット・パンダやイプシロンにも通じるような、イタリアの小型車的な身軽さまで感じられるのだ。走っていると本当にミニバンであることなど、忘れてしまいそうになる。

加減速は自由自在

それをもたらしくれるのは、エグザンティア・ターボCTアクティバと共通の、2リットルSOHC 8バルブ・ターボの、低い位置に搭載されているレイアウトと出力特性である。



低重心化による鼻先の軽さに加え、ごく低い回転域からターボが効くから、5段MTとの組み合わせなら加減速はほんとうに自由自在だ。シフトアップのたびに、大きな車体をあっさり押し出していく。

昔同じエンジンのエグザンティア・アクティバに乗った時、きっと最上級グレードだし、さぞ上まで回るスポーティなパワーユニットだろうと期待して、ちょっと拍子抜けしたことを思い出す。でも、むしろこれがいい。3000rpmも回せば十分なのだ。しかも回転計をまったく見なくても、シフト・タイミングは自然と分かる。渋滞時など横着をして1速、3速、5速とシフトを飛ばして変速しても、エンジンはよく粘ってついて来る。

こうした実用域での特性をとにかく扱いやすくしているからこそ、操るリズムを少し早くするだけで、身のこなしはぐっと小気味よいものになる。絶対的な速さでなく、路上における気持ちのいい速さ。2000年代以前の欧州の、特にイタリアの小型実用車は、みんなこんな感じだった。

自分のものにしたい

もしこの代車がランチア・ゼータでなく、フィアット・ウリッセだったりシトロエン・エバジオンだったりプジョー806だったとしたらどうか。たぶん僕はその実用性と操作感の心地よさだけ惚れてしまうな、と思った。

けれど、これはランチアだ。アイドリングだけでなく高速巡航時も含め、耳ざわりな音だけをきれいに遮っているところや、少し柔らかめだけど、ぐらっと大きく揺れるような動きをいっさい出さずに曲がっていく足まわりの仕立ては、いかにもこのブランドらしい見事なものだと思う。

ただ速く走りたいと思うクルマはたくさんある。上品なクルマもたくさんある。けれど、綺麗に丁寧にスムーズに、いわば上品に速く走らせたい、と思わせるクルマはそうそうない。スポーティだけど奥ゆかしさがある、とでもいう感じだろうか。同じイタリア車でもいまのマセラティはもっと押し出しが強いし、ベントレーは優雅で近い気もするがやはりイギリスというお国柄が出ている。まして、どちらのブランドにも、こんなミニバンは存在しない。見た目にも室内の装いにもパワートレインの味つけにも足まわりのセッティングにも、ゼータはそんなことを思わせるものがある。

いまの僕の生活の中には、ゼータのようなクルマはまったく必要はない。でも、運動体としての気持ち良さと、秘められたスポーティさと、とてもエレガントな装いと、おまけにこの希少性は、自分のものにしたい、という欲望を強く募らせるのだった。

最後にゼータの燃費について記しておこう。高速道路が6割、一般道が4割くらいの比率で、ほぼ渋滞などにはまることなく750kmほど走って給油したところ、ハイオク74.96リットルを飲み込んだ。つまり約リッター10kmだから、普段乗っているエグザンティアとまったく同じである。

エグザンティアが自然吸気エンジンで4段ATで車重1340kgなのに対し、ゼータはターボ過給エンジンで5段MTで車重は1690kg。ちなみに排気量は同じ2リットルだ。燃料タンク容量はエグザンティアが65リットルしか入らないのに対し、ゼータは90リットルという大容量。つまり足の長さはゼータの圧勝ということだ!

このエグザンティアと同等の燃費という現実も含め、この短くも濃い代車生活のおかげで、近ごろ僕は国内外のウェブサイトを巡り、ウリッセ、エヴァジオン、806とともに、ゼータの売り物をついつい探してしまう始末である。

文=上田純一郎(ENGINE編集部) 写真=神村 聖(集合写真)/上田純一郎 撮影協力=カークラフト

■CITROEN XANTIA V-SX シトロエン・エグザンティアV-SX
購入価格 7万円(板金を含む2023年3月時点までの支払い総額は234万6996円)
導入時期 2021年6月
走行距離 17万4088km(購入時15万8970km)

(ENGINE WEBオリジナル)