最近、「ファイナンシャル・ウェルビーイング」という言葉を耳にする機会が増えてきている。例えば、「2023事務年度 金融行政方針」(金融庁)では「金融経済教育の充実」に関する項目で「安定的な資産形成の重要性を広く浸透させるためには、金融経済教育の充実を通じて、国民の金融リテラシー向上に取り組むことが重要である。…  国民一人ひとりが描くファイナンシャル・ウェルビーイングを実現し、自立的で持続可能な生活を送ることのできる社会づくりに貢献していく。」とうたわれており、「金融経済教育の充実」による「金融リテラシー向上」とともに「(国民一人ひとりが描く)ファイナンシャル・ウェルビーイングの実現」を目指す姿と位置付けている。このように「ファイナンシャル・ウェルビーイング」が注目され出している背景には「個人の生活設計の変化」と「企業を取り巻く環境の変化」があるのではないかと考える。

「個人の生活設計の変化」を、「昭和」「平成」「令和」という時間軸で眺めてみると、価値観やライフスタイルの多様化、ということが大きいと思える。「昭和」のライフスタイル(夫婦と子供2人、世帯主の夫と専業主婦が「標準家庭」)から、「平成」を経て「令和」となった現在では、夫婦で働くことが当たり前となる一方で、ずっとシングルの方、同性パートナーと過ごす方など、まさに多様なライフスタイルが一般的となってきている。

また、このような変化と同時に進行している「人生100年時代」ということも、大きな影響があると思える。少し脇道にそれるが、現在、50歳代以上の世代は、サザエさんのような「波平は54歳、会社定年は55歳、平均寿命は60歳ぐらい、しかも3世代同居」というライフスタイルを見て育ってきたが、この設定のように「セカンドライフが5年ぐらいで3世代同居」ということならばセカンドライフを強く意識することもなかったのかもしれない。しかしながら、例えば、これから定年を迎える50歳代の会社員の場合、定年年齢は60歳か65歳ぐらいで、それに対して「人生100年時代」と考えると、セカンドライフは40年か35年となり、セカンドライフが30年以上も伸びているということであり、そういう時代の変わり目であるということを意識する必要があるように思える。

日本では、セカンドライフの期間が大きく伸びている一方で「(家庭内での)世代間の補完関係の希薄化」が顕著であり、さらに「昭和」の標準家庭といったようなモデルパターンがなくなっていることも背景として、一人ひとりが自分自身の価値観やライフスタイルに応じて「将来のライフイベントを適切に把握し、賢い意思決定により、お金に関する不安を解消させ、未来に向けて自律的に行動できる状態」(ファイナンシャル・ウェルビーイング)であることの重要性が高まってきているという側面がある。

「企業を取り巻く環境の変化」では、定年延長への対応が「待ったなし」となってきており、その「定年延長」には「健保財政の悪化」という副作用に繋がる可能性が高まるという側面もある。最近では40〜50歳代でのキャリアップを伴う転職の増加が目立つなど、働く期間が長くなったゆえの「優秀な人材の確保」も喫緊の課題となってくるなど、生き生きと長く働いてもらえる環境整備が企業の大きな課題になってきている。

「投資家サイド」では、変化が激しい時代の中で、会社の「パーパス(存在意義)」を定め、そのパーパスを実現するための経営戦略と結びつくような「付加価値」を生み出す人材の育成に、経営としてどう取り組んでいるか、すなわち「人的資本経営」に関する注目度がアップしてきている。この「人的資本への投資」の状況を有価証券報告書や統合報告書などに詳しく掲載する企業も増えてきており、従業員の「ファイナンシャル・ウェルビーイング向上への取り組み」は、企業の人事ラインだけの問題ではなく「経営課題そのもの」へとクローズアップされてきているといえる。

「ファイナンシャル・ウェルビーイング向上」や「金融経済教育」の充実という観点では、2022年度の「学習指導要領の改訂」で金融商品・サービスのメリットやデメリットも説明するようになったことは、極めて大きな意味を持つ。その一方で、個別の商品・サービスまで説明するとなると「貯める=貯蓄」「増やす=投資」「備える=保険」と順番に説明していく必要があり、本来知っておくべき「全体像」はかえって分かりづらくなるという弊害もある。

ある一定の資産額がある顧客に対してプロダクトアウトで提案することが中心であった金融業界の経験者からすると、このような説明スタイルが自然なアプローチに感じられるかもしれないが、ライフプランに対応する「マネープラン」の策定に資するような「金融経済教育」では、人生100年時代を見据えた「全体像」の把握が極めて重要になると考える。

全体像を把握しやすくする工夫として、ビジネスで「ヒト、モノ、お金」といわれるように、個人のライフプランも「ヒト、モノ、お金」の3つの要素で捉えて説明する方法がある。長い生涯を通じて「ヒト、モノ、お金」それぞれについて、進学や住宅取得といったような各ライフイベントが発生する時点で「金融資産」と「支出」のギャップが発生する。そのギャップを解消することが金融商品・サービスの役割だという全体像と、その中での個別の金融商品・サービスの位置関係を大まかに捉えた上で、個別に説明していくという流れの方が理解しやすいと思われる(図表)。例え話になるが、「金融経済教育」全体が「茶筒(円柱)」であるとするならば、全体像(円柱)を説明したうえで、横から眺めれば「長方形」、上から眺めれば「円」であるというように説明する方が理解しやすいということである。

[図表:ライフイベントとヒト、モノ、お金の関係]
※図をクリックで拡大出所:三井住友信託銀行
 
「ヒト」の観点では、少額ですむ場合(書籍を購入して学習する、無料のセミナーに参加するなど)もあれば、大きな費用が必要となる場合(大学へ通う、海外へ留学するなど)もある。必要となるタイミングで十分な金融資産がなければ、奨学金や教育ローンを利用することができる。一時的に借り入れで費用を賄うことになるが、自分自身に「投資」することで、将来、働きがいのある仕事に就いたり、働いて得られるお金が増えたりすることが期待できる。自分自身に「投資」しても、予期せぬ出来事で大きく棄損してしまう可能性もある(若くして死亡する、病気を患うなど)が、そのような場合の備えとしては生命保険を活用できる。

「モノ」の観点では、「金融資産と支出のギャップ」の中でも典型的なものとして、住宅購入時の住宅ローンと、その後のローン返済があげられる。持ち家派の場合には、住宅ローン返済があるため、賃貸派よりも資産形成期の貯蓄や積立投資に充てられる資金が少なくなるかもしれないが、その一方で、持ち家を裏付け資産として、セカンドライフでキャッシュフローを創出する商品・サービスの活用(リバース・モーゲージ)も考えられる。住宅・家財といった「モノ」が火災や自然災害で喪失した場合に発生する「金融資産と支出のギャップ」に対する備えとしては損害保険を活用できる。

「お金」の観点では、金融資産の形成には「自身の収入からコツコツとお金を積み立てていくことが基本」であり、その場合には、収入から自動的に貯蓄や投資に回る仕組みを活用するという方法がある。例えば、「つみたてNISA」「個人型確定拠出年金(iDeCo)」「企業型確定拠出年金(DC)」「財形貯蓄制度」「持株会」などがある。人生100年時代、長くなったセカンドライフで公的年金だけでは不足が見込まれる「金融資産と支出のギャップ」に対しては、その不足分を賄うために「自助年金」としてどの程度が必要かを見積もり、資産形成期から計画的に積み立てていくことで対応する方法が考えられる。

さらに、金融資産である「お金」、住宅などの「モノ」に関しては、自身が活用するのみならず、自身の子・孫世代へ承継することも可能であり、例えば、教育資金贈与信託や暦年贈与信託といった「贈与機能を持ったサービス」を活用できる。また、自身の子孫へ承継するだけではなく、世の中へ承継する=寄付をするという方法もある。

「ヒト」「モノ」に関するものも、金融商品・サービスを介して「お金」と密接に関係している。これらの全体像を把握し、長い生涯を見通して、この「ヒト、モノ、お金」に関して発生するお金の過不足、とくに「長期」「多額」の過不足を把握して、それぞれにふさわしい金融商品・サービスをスマートに活用して、お金に関する不安を解消していくことがファイナンシャル・ウェルビーイングにとっては大切である。

そう考えると、ファイナンシャル・ウェルビーイング向上に資する「金融経済教育」の要諦は、個別の金融商品・サービスの知識や(こうすればもうかるという)ノウハウの伝授に終始するのではなく、一人ひとりが自分自身の「人生の経営者」として、ビジネスと同様に「ヒト、モノ、お金」という3つの要素で、生涯を通じて発生する「金融資産と支出のギャップ」に対応していけるようになることで、「お金の不安」に振り回されることなく、自分自身のキャリア形成・人生の選択肢を拡大していけるという視点を持てるようにすることにあると思える。

へ続く

(※)本コラムの見解・意見に係る部分はすべて筆者個人のものであり、所属する組織の見解を示すものではない。