サッカー本書評

発売前から各所で話題となり、発売間もなく重版出来した話題の書『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(田崎健太 著)についてスポーツ本・ノンフィクションに造詣が深い中井の伊野尾書店店主伊野尾宏之さんに書評をお願いした。
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 Jリーグが誕生した1993年春、私は大学に入学したばかりの18歳だった。

 それまでサッカーといえば日曜日夕方に放送される「独占!スポーツ情報」という番組の中で「日産自動車」とか「住友金属工業」といった企業チームの試合をダイジェストで見かける程度だったのに、プロ化してチーム名が「横浜マリノス」とか「鹿島アントラーズ」になった途端、テレビや雑誌などで目にする機会が激増した。

 特にこちらから情報を集めようという意思がなくても、ただテレビを見ているだけで三浦知良、ラモス瑠偉、アルシンド、さらにはジーコやピエール・リトバルスキーといったJリーグに来た有名選手を覚えてしまう。
アルバイトを始めたら厳しかった店の社員さんに唐突に「Jリーグ、どこを応援してる?」と聞かれたりする。(そんなのねえよ…)と思いながら、場の雰囲気を崩さないよう、たまたま知ってた「浦和レッズです」と適当に答える、そんな空気が1993年にはあった。

 サッカーブームはその後も続き、スポーツニュースを見てると私が気にするプロ野球情報と同じくらいの時間をとって「今日のJリーグ」という時間があり、それを見てるうちに否が応でも各チーム名と有名選手は覚えてしまう。
 
 90年代のJリーグはテレビを見てれば身近なところにあった。
 
 なので、1998年秋に流れた「横浜フリューゲルスがマリノスと合併」というニュースにはそれなりに驚いた。

 え、フリューゲルスってそんな大変だったの!?という驚きである。

 フリューゲルス最後の試合となった1999年元旦の天皇杯決勝戦は、夜のニュースでダイジェストを見た。

 そのとき印象に残っているのは試合のことではなく、終了後にスタンドに掲げられた長いメッセージの横断幕だ。

 真っ白な大きな布に「終わりだけど終わりじゃない」といった長文のメッセージが筆で書いてあり、サポーターの断腸の思いがこちらにも伝わってきた。

「横浜フリューゲルス」と聞くと、思い出すのはあの横断幕である。

 この「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」は、最後に天皇杯で優勝するような素晴らしいサッカークラブがどうしてなくなってしまったのかを、田崎健太氏が膨大な数の関係者に取材し、証言を積み重ねていくことで「当時の動き」を再構成しているノンフィクションだ。

 書名の「なぜ」という部分の外形的な答えならみな知っている。
 
 フリューゲルスの出資会社の一つである佐藤工業が経営危機に陥りサッカーから手を引くと表明したところ、もう一つの出資会社・全日空が不採算事業の見直しという経営判断で「うちだけでは支えきれない」とクラブ運営から撤退する判断を下した。その受け皿として同じ横浜をホームにしていたマリノスとの合併に動くことになった。

 この本は、その過程の内部で何が起きていて、関係者はどんなことを考えていたのか、そもそもフリューゲルスというチームはどういった歴史をもって横浜に誕生することになったのかを細かく記している。
 
 山口素弘は「ぼくの中ではどこのクラブでプレーしたとしても最後はフリューゲルスのユニフォームで三ツ沢に戻るというイメージを描いていた」と語り、楢﨑正剛は提出されるメンバー表の〈前所属クラブ〉に記載される『横浜フリューゲルス』という名前を残すため、現役最後のシーズンには出場機会がなくても(次に所属した)名古屋グランパスから移籍しなかった。

 ブラジル代表だったセザール・サンパイオは消滅する最後までフリューゲルスに残り、「今でもフリューゲルスの仲間と出会うとうれしい。ぼくは戦争に行ったことはないけれど、戦友というのはこういう感覚ではないかと思うことがあるんだ」と語る。

 関わった選手もスタッフもそれぞれが横浜フリューゲルスというチームを愛していて、そしていくばくかの悔いを残している。
 
 それが読むほどに伝わってくる。

 横浜フリューゲルスが消滅した5年後、プロ野球の大阪近鉄バファローズが同じように球団を合併、消滅させた。
 
 原因は同じように不採算事業を切り離したいという親会社の経営判断だった。

 私には「近鉄バファローズのファン」という友人が二人いる。

 バファローズが消滅して20年経つが、彼らはこの間ずっと「もう他のチームを応援する気になれない」と言い、プロ野球を遠くから、薄目で見ている。

 決して大げさでなく、その様子は故郷を失った民族のように見えるのだ。

 この日本には、全国のいろんな地域に、いろんなスポーツクラブがある。

 栃木ゴールデンブレーブス。ヴァンフォーレ甲府。群馬クレインサンダーズ。埼玉パナソニックワイルドナイツ。東レアローズ。

 国民の大多数はその競技に、そのチームに興味がないかもしれない。

 けれどそのチームの試合や選手に心を揺さぶられて、人生の喜びを感じる人たちがたくさんいる。

 その人たちにとってクラブは、チームは人生そのものなのだ。

 著者の田崎健太は終わりで、このように書く。

「サッカーに限らず、スポーツクラブは経済学者である宇沢弘文が提唱した社会的共通資本に含まれてるとぼくは思う」

 社会的共通資本とは、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持することを可能にする社会的装置」(宇沢弘文)と定義されている。

「スポーツチームはその街の公共資産」という考え方に私は深く共感する。

 もちろん経済活動の側面もあるから、どこかでチームの形が変わってしまうことは仕方ないかもしれない。
 
 それでも最後は「今後、フリューゲルスのようなクラブが出ないことを祈って」という田崎の願いと同じことを、私もこの本を読んで考えてしまうのだ。

(文:伊野尾宏之)

伊野尾宏之
1974年東京生まれ。東京・中井にある伊野尾書店店長。
趣味はプロレス、プロ野球観戦、銭湯めぐり。
X(twitter)@inooshoten