『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送が今年1月からスタート。「源氏物語にはたくさんの謎があり、作者の紫式部にもずいぶんと謎めいたところがある。彼女にも彼女なりの『言い分』があったにちがいない」と話すのは、日本文藝家協会理事の岳真也さん。岳さんいわく「紫式部が為時の赴任先である越前まで付いて行ったのには、とある理由があった」そうで――。

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父・為時の赴任

長徳(ちょうとく)2(996)年の秋、紫式部の父・為時が越前守(えちぜんのかみ)に任ぜられたため、紫式部は父といっしょに京を離れました。父の身のまわりの世話をする必要があったのです。

為時は受領職でありながら、10年もの長きにわたって、無役の立場でした。それが少しまえに、淡路(あわじ)守(淡路島・沼島を治める国司)として赴任することになったのです。

淡路はしかし、「下国(げこく)」であり、上級の国ではありません。そのことを不満に思った為時は、一条天皇に申し文(上奏書)を送り、おのれの心情を訴えたのです。なかの一節に、こういう漢詩があります。

「苦学の寒夜 紅涙襟(こうるいえり)を霑(うるお)す 除目(じもく)の後朝(こうちょう) 蒼天眼(そうてんまなこ)に在(あ)り」

「紅涙」とは、悲しみのあまり流す血のような涙で、苦学をしている寒い夜、その涙が袖を濡らす、というのです。「除目の後朝」とは、除目―淡路赴任のお達しのあった翌朝のこと。

その朝は失望のあまり、「真っ青な空が眼に染みた」というのです。(『新日本古典文学大系 今昔物語集四』小峯和明校注/岩波書店・参照)

ほかにも文中には、漢籍の達人にしか書けないような言葉がたくさん、ちりばめられています。

その名文を読んだ一条帝は、さきの決定をおおいに悔いて、当時、朝廷の実権を握りはじめた藤原道長に、「いま一度、よく検討するように」と命じました。

そこで道長は、一思案。そして為時を、「大国」すなわち重要な地である越前の国司に任じたということです。