念願だった家を壊す時

賃貸のアパート暮らしから、ようやく築いた終の棲家だった。家に関心がなかった吉村でさえ、〈もう金のことは心配なくなった。あとは家の新築だ。あせらずすばらしいのを造ろうじゃないか。〉と心臓移植の取材で訪れた南アフリカのケープタウンから手紙を書いている。

家賃が払えず、郊外へと転居を繰り返していた頃の心境を津村は綴っていた。

〈育子は、近くに民家や商店のある町なかに住みたい、そしていつか自分の家を持ちたいと切実に願った。誰も降りて来ない終電が通り過ぎた駅の淋しさと、鰊(にしん)が来なくなりゴーストタウンのようになった根室半島の花咲港の、千島列島が見えるさい果ての海の色は、長く長く育子の胸に残った。〉(「声」『遍路みち』所収 講談社文庫)

新婚当時、行商で訪れた「さい果て」の光景は、津村の心に深く刻まれたものだった。そこから二人で死に物狂いの精進を重ね、念願かなって手に入れた家を壊すというのだった。

〈離れの夫の書斎だけを残し、38年間住んでいた家を建て替えるにあたってどれほど物を捨てたかわからない。(略)

思い出多い家財道具がつぎつぎに粗大ゴミとして運び出されて行く時は、さすがに胸が詰った。〉(『夫婦の散歩道』河出文庫)

家を壊すところを見るんじゃないよ、と司に言われた。長女一家との二世帯住宅が完成するまで、津村は3LDKのマンションで半年間暮らした。