精神疾患者に「羨ましい」という世間

“希死念慮って、漠然とした「あー死にてー」みたいなものじゃない。もう「死にたい気持ち」に細胞レベルで侵食されて、脳も感情も乗っ取られて、死ぬこと以外考えられなくなる。”

本書にあるこの一節が「わかる」人は、世間が思うよりずっと多い。理由や病名はさまざまあれど、精神疾患を患っている人の多くは、自身の病気の実態を隠す。精神疾患者に対する風当たりの強さと無理解を鑑みれば、事実を公にする人がごくわずかなのも無理からぬことだろう。「自分の周りには当事者はいない」と公言する人は、「カミングアウトする信頼を自分が得ていない」可能性を考慮したほうがいい。

希死念慮は、精神疾患による“症状”の一種である。言ってみれば、風邪で熱が出たり、花粉症で鼻水が出るのと同じことだ。しかし、なぜか精神疾患の場合のみ「自力でコントロールできるもの」として見做される。コントロールできない人は「心が弱い」と言われ、蔑みの対象になる。インフルエンザで高熱を出した人に「なぜ自力で発熱を避けられなかったのか」という人はいない。この一点においてだけでも、精神疾患がいかに偏見に晒されているかがわかる。

先日、JRグループが2025年4月1日より「精神障害者割引制度」を導入することを発表した。これまでは、身体障害者と知的障害者のみが対象とされていた本制度を、新たに精神障害者も利用できる流れとなる。支援対象者が広がることは、本来喜ばしいことだ。だが、SNS上では目を疑うような発言が多数見受けられた。


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「精神障害者手帳が羨ましい」

そんな言葉が拡散され、それらにつく無数の“いいね”に暗澹たる気持ちになった。大変なこと、辛いことが日々起こるのは、健常者も障害者も同じだろう。だが、持っているハンデが大きいからこそ「障害者」として認識され、手帳を交付され、障害年金などの支援を受けているのだ。そのことを「羨ましい」と言えてしまう人は、一度ここまで下りてきてみればいい。想像をはるかに上回る残酷な景色が広がっていることを、当事者だけが知っている。