岐阜県博物館(関市小屋名)は1日、1584年の小牧・長久手の戦いの際、羽柴(豊臣)秀吉が、弟の秀長の家臣桑山重晴に出した朱印状=写真=を収集した、と発表した。担当者は「小牧・長久手の戦いの最終局面を物語る貴重な史料」と位置付ける。5月11日〜6月23日に同館で一般公開する。

 小牧・長久手の戦いは1584年3〜11月、愛知、岐阜、三重県を舞台に、織田信雄・徳川家康の連合軍と秀吉が争った。終盤の11月5日に、駒野城(海津市南濃町)の周辺にあったとみられる東駒野城を重晴らが攻略し、重晴が戦果を秀吉に報告したとされる。

 今回の朱印状は、報告を受けた秀吉が11月8日付で出した。「念入りな報告を感心しています。東駒野城を攻め崩したのは、もっともなことです」との旨が記され、重晴をほめている。

 小牧・長久手の戦いで重晴の動向はあまり知られていなかったが、今回、東駒野の戦いに従事したことが分かった。県博物館の中川創喜学芸員は「東駒野の戦いに触れた史料は数少なく貴重」と話す。

 朱印状は、東京大史料編纂所が1986年に調査撮影していた。