毎月1人ずつ、映画と生きるプロフェッショナルにインタビューしていくこのコーナー。

第12回目のゲストは照明の秋山恵二郎さんです。話題作に多数参加しながらも、これまでメディアにほとんど登場せず、プロフィールすら謎に包まれていた秋山さん。映画に目覚めたきっかけから話題作の裏側まで、ここぞとばかりに質問を投げかけてみました。

秋山恵二郎

あきやま・けいじろう/東京都・練馬区出身。映画美学校の第6期高等科を修了後、照明助手を経て照明技師に。担当作に『ハッピーアワー』(2015年、濱口竜介監督)、『すべての夜を思いだす』(2022年、清原惟監督)など。サッカー部時代のポジションは左サイドバック。

本人にすら「わからない」照明づくり

――まだ少し寒い時期に、秋山さんが照明を担当された『夜明けのすべて』(2024年、三宅唱監督)の劇中の光を観たら「ああ、春が来るんだな」と信じられるような、温かい気持ちになりました。

いい映画ですよね。僕も初日に観に行って、そこで作品をすこし客観視できました。

――脚本を読んでから実際に秋山さんが現場で照明をセットするまでには、どんなプロセスがあるんですか。

作品にもよりますが、「どういう考え方で照明を当てるのが面白いかな」と考えます。どんな光を当てるか、どの機材を使うか、という具体的なことよりも、もっと抽象的なテーマとか構造を考えるイメージです。

たとえば、『夜明けのすべて』と同じ三宅くんが撮った『きみの鳥はうたえる』(2018年)では、主人公の3人、佐知子(石橋静河)、静雄(染谷将太)、僕(柄本佑)にそれぞれの色を当てはめてみたんです。衣装合わせの初日、佑くんがかぶっていた帽子が赤と緑の2色に分かれているのを見て「この人にはこの2色をあてよう」っていうことを決めて。それぞれの色を、心情の動きに合わせて変化させようとしていました。図を描いて、色どうしが混ざり合ったらどうなるかということも考えていましたね。

『きみの鳥はうたえる』予告編。青い光が印象的なクラブシーンは、撮影・四宮秀俊さんと相談の上、侯孝賢監督『ミレニアム・マンボ』(2001年)を参考にしながら作られたのだとか。現場ではスタッフも皆踊りながら撮影していたそう

――いますぐ作品を観返して、光を確かめたくなります。

でも、そういうことは三宅くんにも言っていなかったし、多分、観ている誰にもわからないと思います。それに、自分はただ考えを助手に説明して、あとの具体的な作業は丸投げすることが多いので、完成した映画は、助手のおかげなんです。

――助手の方に作業を任せて、思っていたものと違う結果が生まれたことはないんですか?

違うというか「あ、こういうことなんだ」と思います。そこからスタートする感覚です。

――脚本を読んで、プランを練って、現場に行き……それぞれの作業にどのくらいの時間をかけているのでしょうか。

照明部の仕事は基本「準備して、準備されたことができる」という感じで。……でも、現場に行って「ああ、そういうことか」とわかり始めることもあります。

――多くの人が関わっている以上、想像しきれないこともありそうですね。

だから、僕は準備中「わかんない」ってすぐ言っちゃうんです。そうすると助手にすごく怒られるんですけど。

――(笑)。逆に、照明がどうなるかが「わかる」瞬間はあるんですか。

現場で段取りして、実際に役者さんがどういう感じで、カメラがどう捉えるかがわかると光の当て方のイメージもぐっと沸きやすくなります。それと僕は、きれいなのは太陽だと思っているんです。だからそもそも照明を作るか、自然光を使うかを、そのときどきの状況によって考えています。

『夜明けのすべて』予告編

浪人生からプロの技師になるまで

――秋山さんはもともと、どんなきっかけで映画を観始めたんですか?

すごくはまったきっかけは、『CURE』(1997年、黒沢清監督)でした。学生時代に近くのビデオ屋さんで借りて観て、「あ、受験勉強するのやめた!」って思って(笑)。こんなに面白いんだ、って衝撃を受けたんです。

そこから浪人して、映画しか観ない一年がありました。多分その年が人生で一番、なんでも映画を観たんじゃないかな。そこから、兄が監督の杉田協士くんを紹介してくれて。杉田くんの通う立教大学の授業を受けたり、杉田くんを追うようにして映画美学校に入ったりしました。

映画『CURE』予告編

秋山さんが照明を担当した杉田協士監督の映画『彼方のうた』(2024年)予告編。杉田作品に関わることは、今でも秋山さんにとってすごく大切なことなのだそう

――美学校に入ってからは、本格的に照明の道へ?

学校では、色々なポジションをやってみて「あ、照明面白いな」っていうぐらいでしたね。別にきっちり技術を学んだわけではなく、照明をやっていました。でも当時、山田洋次『武士の一分』(2006年)を観て、「ちゃんと照明を仕事にしたいなー」と思い、いろんな人の助手について、転々としていった感じです。

普通は助手からチーフに上がって、そこから技師になる、という階段式の流れがあるのですが、自分は商業映画の助手をやりながら、自主映画では時おり照明技師をやっていましたね。

――照明技師として関わられた作品で、照明がうまくいったな、と思う作品はありますか。

あまりそういうことはありません。いろいろと試行錯誤していると「よくできた」とかではなく、「こう考えてやっていたな」とか、そういう観方になってきて。それがいいか悪いかは、他の人に言われるまでわからないですね。

――他の方が担当された照明についてはどうですか?

ふだん映画を観ているときは基本的に、照明のことは全く考えないです。でも、「照明を勉強してみよう」という気持ちで作品を観ることはありますね。たとえば、ヴィットリオ・ストラーロという人の仕事を見たときは「こういうことがしたいのかなー」と伝わってくる感覚がありました。感情と場所と動きによって変わる光を見て「自分にもそういうことができないかな」と考えたり、逆に「これは僕一人ではできないから考えすぎないようにしよう」と思ったりします(笑)。

ヴィットリオ・ストラーロが関わった『暗殺の森』(1970年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)予告編。ストラーロは撮影監督でありながら、照明への強いこだわりを持つことで知られる

――学校で照明の仕事に出会ってから、ずっと興味を絶やさずにいられるのが素敵だなと思いました。秋山さんが仕事を続けられているのはなぜだと思いますか。

照明部になったら、アトピーがよくなったんです

――え……!

大学受験の時、試験を受けられないくらいアトピーが酷かったんですけど。照明部になって、体を動かしたり、汚れたところに平気で入ったりしながら、疲れて寝る生活をしていたら、それで、よくなったんですよね。

あとは出会いと運かな、と思います。僕は、美学校時代の同級生や自主映画の現場で出会ったみんなの活躍にあやかっているだけなので(笑)。照明のことも基本的に助手にお任せしているし、本当に、みんなのおかげだと思います。

井戸沼紀美 インタビュアー

いどぬま・きみ/映画上映と執筆を軸にしたプロジェクト「肌蹴る光線」を主宰。
HP URL:https://hadakerukosen.studio.site/
SNS:https://twitter.com/hadakeru_kosen

text_Kimi Idonuma edit_Wakaba Nakazato