4月から日本テレビ系「笑点」(土曜・後5時半)の大喜利レギュラーに新加入した落語家の立川晴の輔(51)がこのほど、報道陣の取材に応じ、意気込みを語った。

 晴の輔はBS日テレ「笑点 特大号」の「若手大喜利」コーナー出身。3月末で勇退した林家木久扇(86)の後を受けて7日の放送で初登場した。「立川」の亭号で「笑点」にレギュラー出演するのは初代司会の立川談志さん(11年死去)以来55年ぶりだ。ここまで2度の収録を振り返り「憧れのところに自分が座っていることがまだ信じられないので、ずっとフワフワしています」と語る。

 オファーを受けたのは昨夏の終わりごろ。「『特大号のことでお話が…』と呼ばれまして、喫茶店ではなくエレベーターの高いところに上がっていく。入った扉の向こうに偉い方がいらっしゃいまして、刑事さんに見えました(笑い)」と振り返る。自身にとっては青天の霹靂(へきれき)だったという。「大喜利もなんとなく(キャラの)棲(す)み分けがある。僕は『特大号』でも真面目なタイプ。木久扇師匠の(後任の)席は僕は真逆だと思っていたので驚きました」。半年ほど心の中だけにとどめており、家族に告げたのも初収録の直前だった。

 師匠の立川志の輔には3月になってから電話でレギュラー入りを報告。「ふだんは重低音の師匠が、電話の向こうで『お〜っ!』って。今まで聞いたことのない師匠の高音を聞いたんです。入門して27年なんですけど、初めて師匠が僕のことで喜んでくれたと思います」と胸が熱くなった。

 大師匠の談志さんには初収録の前にひとりで一度、4月に入って師匠の志の輔とともに墓前を訪れ、レギュラー入りを報告した。「家元に自分のことを伝えるよりも、隣にいる(志の輔)師匠が僕のために手を合わせてくれていることが本当にうれしくて。師匠が目を開けて、何かお墓に向かって語りかけてる感じだったんですよ。師匠が今まで見たこともない優しい顔をしていたのでちょっと本当に泣きそうになりましたね」。ここまで育ててきてくれた志の輔への思いがあふれたという。

 厳しい修業で知られる落語立川流だが、晴の輔は「上質な苦労」と苦笑しながら評する。家元・談志さんの「俺を不快にさせるな」「うまくやれ」の抽象的教えを脈々と受け継ぎながら、ここまで噺家(はなしか)生活を続けてきた。「家元談志の命日(11月21日)が僕の誕生日なんですよ。見えない手で押されてる感覚は少しありますね」

 落語協会や落語芸術協会などと異なり、寄席の出演はないため、生計を立てるのは独演会の出番が中心。コロナ禍では人生で初めてアルバイトを経験する苦労もあった。「『笑点』に出られることによって集客も増えてくれたらいいなと思いますので、独演会に足を運んでほしいですね」と切実な思いを語る。

 14日の放送では着物の色も「鳥の子色」という薄いクリーム色に決まった。前任の木久扇からは「演芸番組がひとつ増えたぐらいの気持ちでやれば大丈夫だよ」というエールとともに「僕も『若手大喜利』で談志さんに引っ張ってもらって、大喜利に出られるようになったんだよ」という言葉をかけられた。大師匠の縁が55年の時を超えてつながっていくのを感じ「不思議ですよね…」と思いをはせた。

 強烈なキャラクターや個性を放つ大喜利レギュラー陣のひとりとなったが「僕は本当に真面目なんですけど、真面目なだけだと多分ダメだと思います。僕も選んでいただいたからには、僕の潜在能力や意識の中にある『何か』を探す旅に出たい」と語る。「あそこに並んでいることが当たり前になるような存在にならないといけないので、そこまではちょっとお時間いただくと思いますけども、気長に応援していただければうれしいです」と呼びかけた。

 ◆立川 晴の輔(たてかわ・はれのすけ)1972年11月21日、神戸市生まれ。51歳。東京農業大学農学部卒業。97年に立川志の輔に入門し、「志の吉」を名乗る。2003年二ツ目昇進。08年に「東西若手落語家コンペティション」グランドチャンピオン。13年真打ち昇進を機に「晴の輔」に改名。主に古典落語を得意とする。出ばやしは「ハレルヤ」。