InRedの長寿映画連載「レッド・ムービー、カモーン」。放送作家の町山広美さんが、独自の視点で最新映画をレビュー。

壁の向こうに知らんぷり
隔てられ守られるものは

 床が動いて見える!なジャミロクワイ「ヴァーチャル・インサニティ」のMVは、30年後の今でもお笑いのネタになる名作だ。動いているのは壁なのに床が動くと感じてしまう、認識がバグる奇妙な快感。あれを撮ったジョナサン・グレイザー監督の最新作が『関心領域』。この映画でも認識がバグる。それも最悪のかたちで。 

 健全でていねいな暮らしを実現している理想的な家族がいる。しかし壁を隔てたお隣さんは、アウシュビッツ収容所。阿鼻叫喚は響いているのに、この家族には聞こえない。聞こえてはいけないから、聞こえない。 

 家の主人は、収容所の所長だ。妻は夢見た生活を、ナチ党から与えられたこの地で作りあげた。4人目が生まれ、家事は現地ポーランドの女性にアウトソーシング。今ならインスタにあげて自慢したい暮らし。夫は仕事熱心で、自宅に業者を招き、効率よく多くのユダヤ人を灰にするシステムについて商談している。 

 原作では、所長のモデルにとどまる人物を監督は特定した。50万人近いハンガリー系ユダヤ人を虐殺した作戦にその名が冠された、ルドルフ・フェルナンド・ヘス。敗戦が近づくと逃亡、逮捕後に収容所について手記を残し、公開処刑された。絞首刑だった。 

 聞こえない家には、増える死体を燃やしきれない煙も届くが、彼らには臭わない。だが素敵な家を手放す危機に見舞われる。これぞ家族の一大事。 

 ヘス夫婦は、ナチ党の教えを愚直に実践した。優れた民族の一員として、自然に根ざした暮らしと子育てに励む。そうではない人たちを、自分たちと同じ人間だとは思わない。 

 たくさんの壁、ドアがこの映画には仕込まれている。壁の向こうで何があっても我関せず。その心理は80年後の今、人々に当たり前になり、壁はより分厚くなった。だから映画は終盤、映画内の現在と観客のいる現在を混濁させてみせる。これは、隔てられた過去の出来事なんかじゃないんだと。 

 それはアカデミー賞授賞式で監督が、ガザ地区の占領の正当化に、ユダヤ人としての自分たちの存在やホロコーストが「乗っ取られていることに異議を唱える」と明言したことにもつながっているのだ。 

 ところでこの映画で、夫は欲深い妻に煽られているようにも見える。そこに、大量虐殺を現場で指揮した男の普通さ矮小さ愚かさが読み取るべきだが、罪深いのは夫よりも妻だという理解も招きかねない。これは厄介だ。なにしろ映画は長らく、「よくない女には男より手厳しく」という慣習があるから。

 映画における男と女の隔たりを『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』は問う。大学で映画を教えてもいる監督のニナ・メンケスが、自らの講演を映画化した。 

 映画の奇妙な慣習を検証していく。例えば、女の動きはスローに編集され音楽がついて、蠱惑的な存在となり、時には声さえない。なぜなら映画は観客→監督の「男の視線」、男の脳内を代行するからだ。そして、女を「見られる存在」として客体に閉じ込める認識は、発言する主体的な存在である現実の女性の、映画界での雇用を阻み、さらには観客の、女性についての認識を汚染している。 

 という認識は偏っているだろうか。この映画で提示される問いをもって過去の名作を観直す作業がかなり面白いことは、間違いない。 

 メンケス監督は親族にホロコーストの被害者を持ちながら、イスラエルが加担したパレスチナ難民キャンプでの82年の虐殺を検証する映画も撮った。彼女が凝視するのは、自分たちと異なる存在から人間としての主体を奪う、そのことの醜さだ。

『関心領域』

『関心領域』

23年 米・英 105分 監督・脚本:ジョナサン・グレイザー 出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー 5/24(金)より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

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『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』

『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』

22年 米 107分 監督・製作:ニナ・メンケス 出演:リアノン・アーロンズ、ロザンナ・アークエット、キャサリン・ハードウィック 5/10(金)より、【ニナ・メンケスの世界】の1作品として、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

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