日本のプチプラファッション雑貨を牽引してきた「オーサムストア」を運営するリテールトランスフォーメーション(東京都港区)が破綻(はたん)した。1月16日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請。19日に再生手続の開始が決定し、2月中に全店を閉店することになった。

 オーサムストアは、前の運営会社だったオーサムが2023年5月16日に東京地方裁判所へ自己破産を申請。同日から破産手続を開始したのを受け、リテールトランスフォーメーションが大半の店舗を継承して事業再生を目指した。

 コロナ禍の行動規制がなくなり、都心部や駅前、ショッピングセンターににぎわいが戻ってきている。オーサムストアにとって追い風が吹いている環境なのに、思ったように売り上げが伸びなかった。なぜ、オーサムストアは、急速にブランド力が劣化してしまったのだろうか。

 オーサムストアというと、他の店に売っていない高いデザイン性、目からウロコのような用途で遊び心を刺激する商品を連発してきたイメージがある。日本生まれのブランドであるが、米国ニューヨークのテイストを前面に出してきた。

 それに対して、北欧のデンマーク発「フライング タイガー コペンハーゲン(以下、フライング タイガー)」が、欧州のテイストで対抗。また、100円ショップの「ダイソー」が、500円や1000円の商品を扱い出し、デザイン性を高めた300円ショップの「スタンダードプロダクツ」などの新ブランドを強化してきた。

 さらには、300円ショップの「スリーコインズ」が、1000円や1500円の商品も扱う「スリーコインズプラス」の出店を進めている。ホームセンターの「カインズ」や、家具の「ニトリ」も便利でデザイン性も備えた、生活雑貨を強化してきている。

 こうしたライバルたちが、オーサムストアがコロナで苦戦しているうちに力を付けて、消費者の雑貨購入の選択肢に入ってきた。かつてはオーサムストアの独擅場(どくせんじょう)で、問題にもしていなかった各社がオーサムストアをベンチマークにして、パワーアップしてきたのだ。今回の破綻には、100均ショップや従来のホームセンターでは表現できていなかった、ファッション性の高い雑貨に、一挙になだれ込んできた影響が出たと考えられる。

●“黒船来航”を機にオーサムストアを開発

 オーサムの歴史を振り返ってみよう。オーサム創業者の堀口康弘氏は、1955年、佐賀市生まれ。画家を目指して東京芸術大学を二度受験するが挫折。都内の公園で寝泊まりしながら、土木作業の肉体労働で50万円を貯めて、21歳で単身、米国・ロサンゼルスに渡った。

 ロサンゼルスでは治安の悪い地域のリカーショップで職を見つけて、4年間働いた。その後、永住権を取得するために、日本に帰国。一時帰国のつもりだったが「ビイハウス」という雑貨業界の社長と出会い、意気投合した。そこで、ビイハウスの食器を小売店に卸販売する会社「レプビイハウス」を82年に創業した。これがオーサムの起源となった。

 1社のみから仕入れて売ると経営が不安定になるため、次第に他社製品も扱って生活雑貨全般に業容を拡大。その後にビイハウスが倒産すると、社名をレプハウスに変更。98年に卸売から小売に転向した。同年には、千葉県松戸市に生活雑貨「オフノオン」1号店をオープン。世界中からこだわりの雑貨を輸入して販売したのが受けて、ヒットした。オフノオンはチェーン展開を進め、派生業態を含めると直営で60店超を展開していた。

 2009年頃の表参道には、堀口氏が食器のみならず、内装や料理もプロデュースした「カフェテーブルテラス」という生活提案型の飲食店も出店し、自社の製品をどのように使ってほしいのか、実例を示した(既に閉店)。同店には食器を販売するコーナーも設けていた。

 14年4月には、東京・原宿にオーサムストア1号店となる原宿表参道店をオープン。ハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」が日本再上陸した1号店の跡地だった。オーサムストアの開発は、12年にデンマークからフライング タイガーが上陸したことがきっかけとなった。

 フライング タイガーは、大阪・心斎橋のアメリカ村に1号店をオープンするやいなや大行列となり、品切れを起こすほどの大反響を引き起こした。15年12月時点で24店へと店舗網を拡大すると、オフノオンを脅かす存在となり、勢いの差は、誰の目にも明らかとなった。

 「このままでは雑貨界の黒船に市場を奪われかねない」という危機感から、堀口氏は起死回生策としてオーサムストアの構想を練ったわけだ。企画から製造、販売までを垂直統合したSPA(製造小売業)業態として、雑貨界におけるユニクロのような立ち位置を目指した。

●原宿・池袋・渋谷へ旺盛に出店

 オーサムストアは中間流通を省くことで、オフノオンなど既存ブランドよりも低価格を実現。プチプラ色を強く打ち出し、最安値は10円のクリアポーチだった。1個33円(5個165円)のマイクロファイバーキッチンスポンジは、5種類の柄がセットになっていて、水だけで汚れを落とせる洗剤要らずなエコな商品だ。デザインが豊富で、台所の作業が楽しくなると、各種メディアでよく取り上げられていた。

 キッチングッズやインテリアグッズ、文具など幅広い商品群をそろえ、商品は全て自社企画。製造も中国にある300以上という協力工場と連携し、ニューヨークの街並みをイメージした内装も自社で手掛けるなどの徹底したSPAぶりで、堀口氏にとって集大成となるショップだった。

 オーサムストアは20〜50代の女性をターゲットとしていたが、落ち着いたシンプルなデザインの商品も多かった。実際には10代や男性、ファミリーも多く来店し、幅広い顧客層の集客に成功した。年間で約6000種類もの商品を、顧客に提案していた。

 1号店の反響に手応えを得たレプハウスでは、オフノオンを次々にオーサムストアへと転換。全国のショッピングセンターに次々と入居してブームを起こし、フライング タイガーの快進撃に待ったをかけた。

 17年6月には、1号店が近い原宿エリアに初のカフェ併設店を出店。ニューヨークの赤レンガ倉庫をイメージした内外装もさることながら、オープンベーグルというオリジナル料理を開発した。ベーグルの中に具材を挟むのではなく、生地の上にトッピングしていく斬新なスタイルで、写真に収めたくなるインスタ映えも追求した。

 19年7月には池袋の商業施設「キュープラザ池袋」にカフェを併設した店舗として新たな旗艦店をオープン。約460平方メートルの広い店内に、およそ5000点もの商品が並び、筆者が実際に訪れた感想として「お洒落なドン・キホーテ」のような印象を持ったことを鮮明に覚えている。

 さらに21年3月、渋谷センター街に「オーサムストア トーキョー」をオープンした。内装は1階にニューヨークのブルックリンの地下鉄、2階ではブルックリンの街並みをイメージ。2階にはガラス張りのスタジオを設置して、毎月約100アイテムの新商品をインスタグラムといったSNSライブで発信するなど、最先端のプロモーションを行った。コロナで自宅に巣ごもりしていたファンをECに誘導する、一種のライブコマースの試みとしても注目されていた。

 なお、同社は17年に社名をレプレゼントに、さらに22年1月にはオーサムに変更している。

●広がっていったオーサムストア包囲網

 100円よりも安価な雑貨を一定数そろえたオーサムストアの出現は、ダイソーなど100円ショップチェーンをあわてさせた。均一価格では将来的に通用しないと考えた各社は、頑なに100円均一を死守するセリアを除き、200円・500円・1000円の商品にもチャレンジ。100円均一に固執するファンをつなぎ止めつつも、商品ごとのコストパフォーマンスを追求するショップへと、この頃よりビジネスモデルを転換させている。

 これら均一価格ショップは、スマホの機能を拡張するアイデアグッズやアウトドア関連などで、100円でない高額商品のヒットが出るようになった。商品のアイデアと品質で、オーサムストアと同等か、それ以上のものが登場してきたのだ。

 例えばダイソーは、21年3月に渋谷へ新業態となる、300円の価格帯を中心としたスタンダードプロダクツを出店。この店が評判となり、出店を進めた。それだけでなく、スタンダードプロダクツとダイソー、さらに元からあった女性向けの300円ショップである「スリーピー」との3店複合ショップをも展開し始めた。商品ラインアップを大幅に強化した3店複合の大型店は十分にオーサムストアの脅威になり得た。

 300円ショップのスリーコインズも、同様の戦略を取った。価格帯の幅を広げたスリーコインズプラスの全国展開を進め、21年11月には広大な売場面積を持つ原宿本店をオープン。オーサムストア本拠地のお膝元をふらつかせた。

 運営元のパルグループホールディングス(大阪市)は16年、日鉄住金物産から雑貨ブランド「ASOKO」を買収しており、スリーコインズプラスのインショップとして、展開を進めている。

 フライング タイガーやオーサムストアの目覚ましい成果を見て、生活雑貨が売れると踏んだカインズやニトリは、いずれも自社企画・自社製造に注力を開始。それぞれデザイン性の高い商品を安価で売るSPA企業であったので、臨機応変に低価格雑貨に挑んできた。カインズやニトリの戦略は当たり、雑貨に無関心な大塚家具の退潮を余儀なくさせ、ヤマダデンキを中心とするヤマダホールディングスが大塚家具を買収する伏線となっていく。

 また、カインズが東急ハンズを買収して「ハンズ」へと改名したのは記憶に新しい。そればかりでなく、ホームセンターで販売力がトップクラスのカインズ、家具で販売力がトップクラスのニトリは、圧倒的な集客力でオーサムストアの勢いをじわじわと削いでいた。

●フライング タイガーの復調も痛手に

 さらにオーサムストアにとって厄介だったのは、フライング タイガーが体制を建て直して息を吹き返したことだ。フライング タイガーは、サザビーリーグとデンマークのZebra A/Sとの合弁会社である、Zebra Japan(東京都渋谷区)が運営している。現在は手を引いたが、スターバックスの日本法人を運営し、日本のコーヒーショップのトップブランドに育てた、海外ブランドを日本化させるサザビーリーグの手腕は、やはり半端ではなかった。

 ゴールドマンサックスやユニクロなどを経て、19年にZebra Japan社長に就任した松山恭子氏は、オーサムストアに圧倒されていたフライング タイガーの改革に着手。1988年に創業以来、多くの国と地域で1000店近くを展開するフライング タイガーは、本来全方位、老若男女が来るブランドだった。ところが、松山氏は子育て世代のファミリーにターゲットを絞り、郊外ショッピングセンターに出店した。

 若い子育て層や小さな子どもが喜ぶ雑貨を強化したブランディングを行うとともに、デンマークの本社が提案する商品を取捨選択。日本で売れそうなものは、廃番となったものでも復活させるという、デンマークでは行ってこなかった“禁じ手”までも解禁した。

 オーサムストアは東京都心部の路面店で成功すると、郊外のショッピングセンターに広げてブームを拡散してきたが、コロナ禍で売り上げが激減している都心部の集客回復に気を取られているうちに、収益源だったショッピングセンターの市場をフライング タイガーに浸食されてしまった。さらに、郊外ロードサイドでは、カインズやニトリが戦略的に雑貨を強化。都心部ではダイソーやスリーコインズが、資本力を背景に従来では想像できなかった複合大型店を出店して、アフターコロナに備えていた。

 気付いてみれば、資本力に乏しいオーサムストアは、都心も郊外もライバルたちに包囲されていたわけだ。トレンドとしてアメカジの退潮も影響したかもしれない。アメカジを主力とするアパレルブランド「GAP」の銀座旗艦店が23年7月に閉店し、旗艦店と呼ぶべき店がなくなった。

 今やオーサムストアの挑戦は終わった。しかし、オーサムストアによって、日本の雑貨のレベルが格段に上がり、日本人の生活のある部分を豊かにしたのは確かだと筆者は考える。オーサムストアのDNAを継承する元社員や元ファンによって、遊び心を引き継いだ新しいブランドがやがて起業され、勃興する日が来るのではないかと期待している。

(長浜淳之介)