豊洲市場には、日々、人が集まります。東京都によれば豊洲市場の水産部門に関わる事業者は、令和2年(2020年)4月1日時点で卸業者7、仲卸業者481、関連事業者が147、売買参加者289となっています。

 これに加えて、買出人や観光客も多く押し寄せる豊洲市場。かつて、築地市場の時代には多い時で1日4万人以上の来場者があるとも言われました。

 豊洲市場には、魚だけでなく、なぜこんなにも人が集まるのでしょうか。これは、豊洲市場が水産物の一大「物流」拠点であると同時に、一大「商流」拠点であることが理由になっています。

 豊洲市場には、人だけなく魚も集まってきますが、実は取引されているのに集まってこない魚もあります。どういうことかというと、注文は豊洲市場で受けるのですが、モノは違うところにあり、そこから直接相手先に届けられるというパターンがあるのです。

 このように流通は、モノの流れである「物流」と商的な流れである「商流」に大別されます。

 私が2007年に築地市場の卸売会社に勤めていた頃、先輩社員に「これからは、モノは郊外にある保管賃の安い冷蔵庫に置きながら、築地で商談だけを行う時代が来る」と言われたことがあります。この話のように、やろうと思えばオンライン上でもどこでも、人が集まって商談する場を設け、そこを商流の拠点とすることは可能です。

 そして、物流は別で組み立てる。ICT(情報通信技術)の進んだ現代ならそんな世界があっても良いはずです。

 しかし、豊洲市場は現在でも物流の拠点でもあり、商流の拠点でもあります。一体、なぜでしょうか。

 これには、魚の商品特性が関係しているといえるでしょう。鮮魚は現在でも生の冷蔵品が多く、日々入荷状況や品質が変わりやすい商品です。モノは別の場所に置きつつ、商談だけを行うという話は、日々品質が変わらないからできる話でもあります。

 ここで、「画像や動画での通信を行えばできるのでは?」と思う方もいらっしゃることでしょう。しかし、それでも細部の様子や微妙な色の違い、匂いなどの視覚以外の情報はやり取りしにくいところがあります。魚は日々変わる繊細なものだからこそ、日々、人の五感できちんと確認する必要があるのです。

 このことが、物流と商流を切り離せなくしています。その結果、魚も人も一緒に集まってくるというわけです。

 もちろん、今後、日々変わらない規格化された魚が増えてくれば、物流と商流を切り離して構築することも可能となってくるでしょう。そのカギを握るのは、冷凍魚や養殖魚、加工品といった定常を保てて量産できる水産品です。

 ただ、それらばかりにあふれ、生の鮮魚がなくなってしまっては、日本の魚食文化の魅力は落ちてしまします。

 そうならないためにも、豊洲市場のような魚市場は重要な役割を果たします。魚市場は、日本の素晴らしい魚食文化を守っていく役目も担っているのです。

●築地場外市場が今でもあるのはなぜか

 豊洲市場移転の際、「築地がなくなる」という声を耳にしたことがある方もいると思います。

 これは大きな誤解です。移転の対象は、東京都の施設である「築地市場」(いわゆる「場内」)であって、築地の街やそこにあるお店(いわゆる「場外」)が移転するという話ではないからです。

 また、市場移転の際には、「築地場外市場は移転しません」というメッセージが、築地の街に掲げられていました。そして、今でも築地場外市場は移転せずに残っていて、営業が続いています。

 ここからは、この築地場外市場を元に、市場の種類や豊洲市場移転とは何だったのかについて述べていきます。

 まず、豊洲市場と築地場外市場の市場は意味合いが違います。豊洲市場は、東京都が運営する流通拠点施設を指します。一方で、築地場外市場は、店が立ち並び売り買いをする場所です。一言に「市場」といっても表すものはさまざまです。それらについて整理しましょう。

 豊洲市場のように公的な団体が運営する「市場」は、公設市場となります。このときの「市場」は流通拠点としての施設を指し、卸売市場法が設置根拠となっています。

 公設市場は大きく、国が許可をして開設される「中央卸売市場」と、都道府県が許可をして開設される「地方卸売市場」に分かれます。

 このうち、豊洲市場は中央卸売市場にあたり、正式名称は「東京都中央卸売市場豊洲市場」となります。地方卸売市場の例では、川崎南部市場(川崎市地方卸売市場南部市場)などがあります。

 さらに、この公設市場はその性質によって「産地市場」と「消費地市場」に分かれます。

 「産地市場」は、産地で生産されたものを流通させる施設、「消費地市場」は、消費地に集まってきたものを流通させる施設です。

 例えば、関東の大きな漁港に銚子漁港がありますが、銚子の市場は「産地市場」ということになります。また、漁師が獲った魚は、産地市場の仲買から、消費地市場の卸に渡り、流通していく流れがオーソドックスです。

 これに対し、築地場外市場の「市場」は、法的根拠があるわけではなく、場所を指します。いわば、商店街やショッピングモールに近いイメージで、「お店が集まった場所」と捉えると分かりやすいです。

 では、今の築地場外市場は、どのような状況なのでしょうか。

 豊洲市場の移転後に、築地に店舗を構えるいくつかのお店に聞いたところ「移転前とそれほど変わらない」という声が聞こえてきました。さらには、「買出人から、『場内がなくなって街がコンパクトになった分、時間が掛からず便利になった』と言われた」という話も聞かれました。これらは、観光客向けではなく、純粋にプロ向けに商売を行う人たちから多く聞かれたことです。

 実は、築地場外市場というのは、築地の隣に位置する銀座の飲食店にとっては、豊洲市場よりも利便性の高い立地にあります。また、鉄道・バスといった公共交通機関を使って買出しに来る小規模事業者にとってもアクセスが良く、小規模事業者に利便性の高い市場になっています。

 一方で豊洲市場は、大規模な施設を構えているため、大規模な流通に向いています。

 結局のところ、築地市場から豊洲市場への市場移転とは何だったのかというと、大規模な流通と小規模な流通で求められる性質が違うため、その棲(す)み分けがされたということなのです。

 これからも「築地がなくなる」ことは、当分の間ありません。築地場外市場が果たす役割は、東京や日本の食文化を守っていくにあたり、重要な位置にあるのです。

(ながさき一生)